●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~マルグリット・デュラスと山下洋輔~本当に怖かった、『セブン』オープニング。 [「言葉」による革命]
わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。
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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。
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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。
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7月にマルグリット・デュラスの『愛人』を読み返した。
素晴らしい、圧倒的に。
テンポよく魔術的。
そしてぼくは
山下洋輔の音を聴きながら、
7月も後半に向かうある夜
アマプラとネトフリを両方契約しようかと
考えながら。
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「こわい、本当にこわい、こんなにこわいことは初めてだ」・・・一言一句正確がどうかは定かではないが、デヴィッド・フィンチャー監督『セブン』日本公開時のテレビスポット宣伝コピーはこのようなものだった。
(映画館で何かが起こっている・・・観てはならないものがそこで上映されている)イメージが、わたしだけでなく、多くの日本人の中に醸成されたであろう、秀逸なテレビスポットだった。
そして超満員の映画館、オープニングでナイン・インチ・ネイルズのノイジーで歪んだスコアが響き始め、連続異常殺人者のクリエイションの上にスタッフ、キャストの名前が揺れながら現れ、消える・・・わたしはこの時点で映画館から逃げ出したくなった。