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●末尾ルコ詩D的標語 「マイクロ インフルエンサー」 [「言葉」による革命]

・末尾ルコ詩D的標語 「マイクロ インフルエンサー」

マイクロな インフルエンサー マイクロに インフルエンザに ならないように
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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年10月31日 [「言葉」による革命]

あなたにいつも
「最高の気分」を贈ることを
わが使命とする

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ 「第74回ゴールデングローブ賞のノミネーション」主演女優賞で世界映画女優の「現在」を見る。2017年10月31日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ 「第74回ゴールデングローブ賞のノミネーション」主演女優賞で世界映画女優の「現在」を見る。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

第74回ゴールデングローブ賞のノミネーション主演女優賞は次の女優だった。
必ず書いているけれど、この場合の「ドラマ」というのは「テレビドラマ」ではなく、「シリアスな映画」を意味する。

主演女優賞(ドラマ)

エイミー・アダムス『メッセージ』
ジェシカ・チャステイン『Miss Sloane』
イザベル・ユペール『Elle』
ルース・ネッガ『ラビング 愛という名前のふたり』
ナタリー・ポートマン『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』

主演女優賞(コメディ/ミュージカル)

アネット・ベニング『トゥエンティース・センチュリー・ウーマン(原題)』
リリー・コリンズ『Rules Don’t Apply』
ヘイリー・スタインフェルド『The Edge of Seventeen』
エマ・ストーン『ラ・ラ・ランド』
メリル・ストリープ『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』

ビッグネームの女優が並んでいる中、ルース・ネッガが「新顔」と言える。
「新顔」とはいえ、ルース・ネッガも30代を超えており、20代前半でいきなりオスカー主演女優賞を文句なしで獲得したジェニファー・ローレンスがいかに図抜けた存在かもよく分かる。
ルース・ネッガはエチオピア系アイルランド人の女優で、実に美しい顔立ちの女性だ。

ヘイリー・スタインフェルドはコーエン兄弟の映画『トゥルー・グリッド』で子役ながらとてもカッコよかった。
西部劇も滅多に作られなくなっただけに、稀に制作されるものにはインパクト強烈な作品が少なからずある。
クリント・イーストウッド『許されざる者』がその頂点で間違いないが、『トゥルー・グリッド』の思わず「うわっ!」と声が出てしまいそうになる映像の醍醐味はスクリーンでしか味わえない。

とは言え、ゴールデングローブ賞がオスカー(アカデミー賞)レーズの前哨戦であることを考えれば、ルース・ネッガやヘイリー・スタインフェルドに賞が行かないことはだいたい予想が付く。

(つづく)

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●末尾ルコ詩D的標語 「インフルエンサー」 [「言葉」による革命]

・末尾ルコ詩D的標語 「インフルエンサー」

気を付けよう ひび割れ アカギレ インフルエンサー

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●スタン・ハンセンの「全日移籍」に衝撃を受けた新日ファンのメンタリティを振り返る。&時に「心の叫び」が聴こえてくる芸能人ブログとは? [「言葉」による革命]

●スタン・ハンセンの「全日移籍」に衝撃を受けた新日ファンのメンタリティを振り返る。&時に「心の叫び」が聴こえてくる芸能人ブログとは?

末尾ルコ「プロレスと人間の本質の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

新日本プロレスで「ブーム」と言っていいほどのインパクトと人気を欲しいままにしていたスタン・ハンセンが全日本プロレスに引き抜かれた当時のことをいろいろ思い出していて、まあ今考えても興味深過ぎるほど興味深い出来事だったわけだが、一つ非常に強く感じるのは、「新日本プロレスの差別化がものの見事に機能していた時期」から「新日幻想の崩壊」へ至る大きな第一歩だったということだ。
わたしは「信者」ではないと自らを位置付けていたけれど、熱烈な猪木ファンであり熱心な新日支持者だったことは間違いない。
プロレス会場で熱に浮かされたように「猪木コール」を叫び続けるタイプのファンではなかったわたしにしても、スタン・ハンセンの移籍は何か「自分の思いを汚される感覚」だった。
それだけ新日本の「ストロング・スタイル」、そして村松友視が提唱した「過激なプロレス」幻想は強烈にファンの心理に深く浸透していた。
当時の新日本と全日本の試合を観比べてみて、もちろん試合内容はかなり異なっているけれど、「どちらもしっかりプロレス」であり、「ハンセンが馬場のチョップでぐらつくなんて悪夢だ」とその頃は本気で感じていたが、それを言うなら、体格でかなり劣る猪木がハンセンと「がっちりとロックアップで試合をスタートさせる」のもかなり無理のある光景だというのは、今となってはよく分かる。
まあ当時は村松友視の言う、「猪木は相手の9の力を引き出し、10の力で勝つ」というセオリーを真に受けてもいた自分がいたわけだけれど。
なんか今観ると、「相手が猪木の力を引き出している」ような試合も多々存在するのである。

話は変わるが、芸能人の多くがブログないしツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどをやっていて、数日前に取り上げた長沢純などどう考えても芸能人としては「過去の人」もかなり熱心にブログをやっていることには驚かされている。
しかし「ブログに対するスタンス」は個々の芸能人によって異なっていて、「宣伝・情報発信」と割り切っている人もいれば、「ブログが心の支えの一つ」となっている人もいる。
もちろんわたしが訪問したことのある芸能人ブログなど今のところ微々たるものだけれど、今後特にわたしの尺度と美意識で「注目していただきたい」ブログを紹介していこうと思っている。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、白」篇。2017年10月31日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、白」篇。

「猫、白」

高知市の街路で咲き誇る
真紅の椿
12月の雨の次の日の
しかしあの白い椿には敵わない
濃厚な
濃密な
とろりとした
白い椿の

・・・・・・

ぼくの素敵なネコに一番似合うのは
やはり白。

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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●カラーの「高画質化」は、本当に「高画質」かどうか、それはモノクロ映画の傑作を観ればよく分かる。 [「言葉」による革命]

●カラーの「高画質化」は、本当に「高画質」かどうか、それはモノクロ映画の傑作を観ればよく分かる。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『禁じられた遊び』も『汚れなき悪戯』もモノクロ映画である。
しかもどちらもモノクロの特徴を生かした、掛け値なしに美しい撮影であり、「白と黒しかない世界」がどれだけ奥深く、想像力を喚起するかの実証ともなっている。
『禁じられた遊び』や『汚れなき悪戯』だけではない。
モノクロ映画の傑作と見做されている映画のすべて、恐怖を催すほどに美しい映像の世界を誇る。

現代の映像の世界と言えば、やたらとカラーの高画質化を進めているけれど、それらは本当の意味で「高画質」なのだろうか。


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年10月30日 [愛の景色]

する
なる
なっている

すべて
あなたへの「愛」のために

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●「マルセリーノの唄」が聴こえてきませんか?『汚れなき悪戯』の、残酷なまでの美。 [「言葉」による革命]

●「マルセリーノの唄」が聴こえてきませんか?『汚れなき悪戯』の、残酷なまでの美。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『禁じられた遊び』以上に現在日本で忘れられている映画が『汚れなき悪戯』だ。
『汚れなき悪戯』はスペイン映画で、「マルセリーノ」という名の少年が主人公である。
『禁じられた遊び』のギター曲がほとんど「日本人全員」と言っていいほど隅々まで浸透したほどではないにせよ、『汚れなき悪戯』のテーマ曲「マルセリーノの唄」は大きな人気を博した。
14世紀イタリアの民間伝承を基にしたストーリーは色濃くキリスト教的だけれど、悲痛なのに明るく、残酷なのに心温まる展開に大きな普遍性があることは言うまでもない。

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●猫ちゃんの局部(睾丸含む)については慣れ親しんだわたしであるが、亀のアヌスやバルスーズは観た記憶がない話から、小池百合子のおこぼれにあずかれずに逆ギレした政治家たちのお決まりの「言い訳」について。 [「言葉」による革命]

●猫ちゃんの局部(睾丸含む)については慣れ親しんだわたしであるが、亀のアヌスやバルスーズは観た記憶がない話から、小池百合子のおこぼれにあずかれずに逆ギレした政治家たちのお決まりの「言い訳」について。

末尾ルコ「日常生活と政治の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「亀」が幼少時のわがヒーローだったというお話を前回させていただいた。
ま、他にもいろいろ「ヒーロー」や「ヒロイン」はいたわけですが。
「ヒロイン」と書いて思い出したが、わたしは亀の雌雄を意識したことは一度もなかった気がする。
亀を目の当たりにして、(これは雄かな?雌かな?)という疑問を持った記憶はない。
普通、そういう疑問って、持たないものですかねえ。
わたしは以前多くの猫を飼っていたのだけれど、猫はもちろん分かりやすいですね。
背後と言うか、肛門側から見れば雌雄は一目瞭然。
あれだけ露出して恥ずかしくないものかと怪訝しちゃうほど猫ちゃんはアヌスや性器を露出プレイしている。
しかしここで語りたいのは決して猫ちゃんたちのバルスーズ(←フランス語で「睾丸」)や性器についてではない。
と言いながらも、炬燵ですやすや眠る猫ちゃんの姿以上に幸福なものは他にはそうそうない・・・などと。
まあ今はわたしは猫も他の生物も飼ってないのですが。
そう。亀の話の続きである。
亀の雌雄はさて置いて、子どもの頃から高知市に住んでいたわたしは、なかなか近所の川などで野生の亀を見かけることはなかった。
ところが母方の両親が住む土佐市の家の近くの川には普通に亀が生息していて、それらを見たり捕まえたりするのは大きな楽しみだったのだ。
母方の両親の家の庭には小さな池があり、捕まえた亀をそこへ入れてしばしの間「亀との生活」を楽しむ。
そう言えば、その池では鯉を飼っていたのだけれど、亀を入れていよかったのだろうか・・・という疑問は、今まさに生まれたのだけど。

ところで、衆議院選の希望の党敗北を受けて、民進党出身者による小池百合子・希望の党代表と前原誠司・民進党代表(当時)に対する批判が囂々らしいけれど、批判した連中をよく記憶しておくべきだろう。
「小池人気」のおこぼれで当選しようとしたこうした人間たちの頭にあるのは要するに、「自分が国会議員でいられるか否か」だけだろう。
こうした人間たちがよく口にするのが、「本当に自分たちが推進したい政治を行うためには、多くの議席が必要だから、その可能性の高くなる方法を取る」という「言い訳」だが、中には一部本気でそう思っている政治家もいるかもしれないけれど、い~や、大部分の頭にあるのが「自分が国会議員でいられるか否か」だけであるに違いない。

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