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●フランス大統領は24歳年上の妻を持つエマニュエル・マクロンか? [「言葉」による革命]

●フランス大統領は24歳年上の妻を持つエマニュエル・マクロンか?

末尾ルコ「国際情勢で知性と感性を鍛えるレッスン」

注目のフランス大統領選挙だけれど、大方の予想としては、第1回投票で国民戦線のマリーヌ・ルペンがトップとなるけれど、5月7日の決選投票で中道・無党派のエマニュエル・マクロンが圧勝するとされている。
米大統領選のような番狂わせはないと思うけれど、もちろん「決まる」までは予断を許さない、と考えていた方がいい。
しかし予想通り

エマニュエル・マクロン大統領

が誕生すれば、フランスが若くフレッシュなイメージとなるのは間違いない。
なにせ1977年12月21日生まれの39歳だ。
しかも年齢以上に童顔である。
さらに言えば、マクロン、妻が24歳年上である。
こういうことに驚いていてはならないが、やはり「男がずっと年上」というパターンが圧倒的に多いだろうがゆえに、とりわけ「フランス大統領」にまでなろうかというエマニュエル・マクロン夫妻に注目したくなる。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年3月31日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

さて今日はまた
どんな風に君を想おう

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「詩的・哲学的生活」~「G」あるいはゴキブリに関する小さな哲学。2017年3月31日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「詩的・哲学的生活」~「G」あるいはゴキブリに関する小さな哲学。

多くの人、特に女性が「G」と表記するあの生物。
それはきっと「ゴキブリ」と呼ばれる生物だけれど、多くの人、特に女性たちはその名さえ目にしたくない、書きたくないのであろうか。
わたしにとっても「G」とは、決して歓迎できるものではない。
出没したからといって、「ギャーッ!」あるいは「ウギャ~~~!!」と悲鳴を上げるほどではないが、その姿を見て「嬉しい」ことはまったくなく、それどころかできるだけ関わりたくない、それが「G」である。
ここでわたしは二つの疑問に突き当たる。

1「G」の出没で「嬉しい」人はいるのだろうか?

2「G」と一切関わりのない人生を送っている人は存在するのだろうか?

1の疑問に関しては、今のところわたしの周囲にはそのような嗜好の人物がいたためしはない。
しかし世界は広い。
『バガボンド』の伊藤一刀斎であれば、「遊びはまだ終わらぬ!」あるいは「この遊びに終わりはないのう」となるだろう。
だから「あ、Gが来た!今日はラッキィデイね♪」と心を弾ませている貴婦人がいないとは限らない。
ひょっとしたら、今これを読んでいるあなたが?
いや、それはないか・・・。
2の疑問に関して、一体どんな生活をしておれば、「G」と遭遇せずに済ませられるのか?
わたしの家が新築の時期、それは確かに「G」を見かけない時期だった。
けれど「新築」はいつまでも「新築」ではない。

「G」よ、そなたはなぜに、水道の側で仰向けになっていたのだい?

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!


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末尾ルコ詩D「猫、見える」篇。末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?デ・ニーロが最も美しい映画とは?」。 [「言葉」による革命]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、見える」篇。

「猫、見える」

見えること
見えても見えてない
そんな人たちの中で
見えるようになろうという修行

・・・・・・

誰も持ったことのない視力を
ぼくの素敵なネコのために!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?デ・ニーロが最も美しい映画とは?」。


末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

ロバート・デ・ニーロの美。
それが最も純粋に表出されている映画の日本が、
『ゴッドファーザーPart2』

『1900年』です。

ロバート・デ・ニーロを語る時、どうしてもその演技、狂気、そしていわゆる「デ・ニーロ・アプローチ」などというイメージが真っ先に来て、分かる人は分かっているでしょうが、

「ロバート・デ・ニーロの美しさ」

について語られることはそんなに多くないのです。
しかしロバート・デ・ニーロは特にこの2本の映画、

『ゴッドファーザーPart2』

『1900年』

の中で、誰も寄せ付けぬほど美しい。

映画は舞台の芝居とは似て非なるものです。
「アップに耐える顔」という表現がとりわけ映画に対して使われるのは、映画において、

「俳優の顔も美術の一部」だからです。


●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●『キングコング 髑髏島の巨神』スカルクローラーと『ゴジラ対メカゴジラ』アンギラスの共通点について語ろう! [「言葉」による革命]

●『キングコング 髑髏島の巨神』スカルクローラーと『ゴジラ対メカゴジラ』アンギラスの共通点について語ろう!

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

『キングコング 髑髏島の巨神』を初日レイトショーで鑑賞したのだけれど、イオン高知のTOHOシネマズが珍しく満杯状態。
しかしこれが1週間、2週間と続かないのだな。
『ラ・ラ・ランド』は早くも1回上映になっているし。
『キングコング 髑髏島の巨神』はキングコング以外にでっかい怪物が出現するのが最大の見どころで、コングの対戦相手、プロレスやMMAで言えば、メインイベントを担当するのが、

スカルクローラー

凶暴で敏捷な巨大蜥蜴怪獣というところだけれど、正面から見るとでかい鼻孔部分がしゃれこうべの眼窩のように見えるので、「スカル=髑髏」の名が付いている。
長いくちばしのような口ががばあっと開いて獲物を捕食するのがチャームポイントのスカルクローラーだが、コングとの対決シーンでは何度かそのがばあっと開く口を両腕で裂かれそうになるのですわ。
そこでわたしの脳裏に走馬灯のように去来したのが、『ゴジラ対メカゴジラ』。
2002年のじゃなくて、1974年の方ですが。
『ゴジラ対メカゴジラ』のつかみシーンで、ゴジラを装ったメカゴジラにいきなりアンギラスが勝負を挑むも相手にならずに一方的に敗退。
しかも両腕で口を裂かれて大流血するシーンが用意されていたわけだけれど、純情可憐な子どもだったわたしは、

(何て残忍かつエキサイティングなシーンだ!)と興奮したのである。

まあ大人になってたまたま観返す機会があったけれど、

(ええ?ちゃっちいじゃんか、これは!)

と新鮮な驚きがあったものだ。

ただですね、子どもの頃に盛り上がった和製特撮物が何でもちゃっちく見えるわけではなくて、映画で言えば『大魔神』シリーズとか、テレビで言えば、初代『仮面ライダー』や『ウルトラセブン』などは今大人の眼で鑑賞してもおもしろい。
『大魔神』シリーズとかは、今の子どもにも鑑賞させるべきだと思うんです。
あの「怖さ」を、ですね。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、今年の夏」篇。2017年3月31日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、今年の夏」篇。

「猫、今年の夏」

高知市薊野にある


「今年の夏は台風が集中しそうだ」なんて予報は、
今年の夏には
忘れている

今年の夏になれば
「今年の夏の予報」はもう必要ではなく
わたしたちは
「今年の夏」とともにある

それだけのことさ

高知市薊野にある


・・・・・・

ぼくの素敵なネコのためなら
すべての台風をストップしたい!
そんな気持ちで
毎日いるのさ!


(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●あなたは人を「感知」できるか?それとも「感知されるだけ」か?2017年3月30日 [「言葉」による革命]

※2017年6月12日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~あなたは人を「感知」できるか?それとも「感知されるだけ」か?

前回、次の二つの考えについてお話しました。

「2~3分言葉を交わしただけで、相手の状態と自分との距離感が感知できる、その上で会話を展開できる境地」

〈「言葉」による革命〉は、このような境地に至る人材を育成する目標を持っています。

もちろん簡単ではありませんが、誰でも今すぐ始められて、毎日一歩ずつでも向上が可能。
そこが〈「言葉」による革命〉のおもしろさであり、特別さなのです。

例えばあなたは、「2~3分言葉を交わしただけで」、「相手の状態」がどれだけ感知できますか?

あるいは次のような問い掛けもしてみましょうか?

「あなたは相手の状態を感知する人ですか、それとも感知されながらも自分は感知できない人ですか?」

(続きは有料メルマガでお願いします)

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~『淵に立つ』がカンヌで受賞した浅野忠信の「映画ファン、オタク」批判はどこへ向かっているのか?2017年3月30日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~『淵に立つ』がカンヌで受賞した浅野忠信の「映画ファン、オタク」批判はどこへ向かっているのか?

浅野忠信のお話の続きです。

浅野忠信は2015年ブルーリボン賞主演男優賞受賞の際に、日本映画界の状況、そして「映画ファンやおたく」に対して批判した。

その時の内容の要約が次のようなものだ。

・・・・・・

「最近日本で賞をいただいたことなかったので、『俺は誰にも相手にされてないんだな~』」などと思っていた。
「友達の母親が自分の演技を見た時の反応」を最も大事にしている。

「映画ファンやおたくたちのオタク気質の反応などどうでもいい」

『友達のお母さん』は『俳優から出ている心』を見ている。

最近の映画界は「技術的なマニアックさ」に走り過ぎている。

・・・・・・

浅野忠信は現在の日本映画界、もっと言えば浅野忠信はデビュー以来日本映画界を支え、その価値を上げ続けてきた。
ほとんどテレビには出演せず、現在の日本で稀な「映画俳優」だと言え、さらにはハリウッドを含め、外国映画にも積極的に出演している。
その白眉と言えるのが、ロシアのセルゲイ・ボドロフ監督『モンゴル』。
『モンゴル』ではチンギス・ハーンを演じているが、暴力的なまでの映像の力の中の中心となった浅野忠信は、日本人俳優としてかつてなかった次元に踏み込んだと言える。

「素晴らしい作品」とは言い難いが、2011年には『マイティー・ソー』に出演。
言うまでもなく、『マイティー・ソー』は『アベンジャーズ』の主要キャラクターであり、この作品が世界中どれだけの人たちに鑑賞されるか、ぜひ想像してみてほしい。

2012年には、作品的にも興行的にも失敗作となったが、ハリウッド映画大作『バトルシップ』に出演。

2014年には主演した『私の男』で第36回モスクワ国際映画祭最優秀男優賞獲得。

2015年には主演作『岸辺の旅』の監督黒澤清が第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を受賞。

そして2016年、主演作『淵に立つ』が第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で、審査員賞を受賞。

これは世界的に見ても「凄まじいキャリア」を重ねていると言えるわけです。

が、この日本社会の浅野忠信に対する関心の薄さはどうだ?

右に挙げた浅野忠信出演映画、『マイティー・ソー』以外はほとんどの日本人が存在すら知らない状況なわけです。

反面、連日大量のスポーツ報道、そして益体もないテレビドラマや「アイドル」の情報。

浅野忠信の言葉は「映画ファン、おたく」に向かっていたけれど、その向こうに広がる、「本物の文化芸術に目もくれない日本社会」に対しての言葉だと、わたしは受け取っている。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年3月30日 [愛の景色]

(君のすべてへの愛)

虚空が虚空でないことを
君が教えてくれている

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末尾ルコ詩D「猫、開く」篇。末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?ロバート・デ・ニーロとトム・ハンクスはどう違うか?」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

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●末尾ルコ詩D「猫、開く」篇。

「猫、開く」

さあ
目をはっきり開いて!
目の前に
いくつの流れが
見える?

・・・・・・

ぼくの素敵なネコのために
ぼくは見えないはずのものも
見えるようになりたい

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?ロバート・デ・ニーロとトム・ハンクスはどう違うか?」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

Greatest Actors of All Timeといったワードで検索すると、IMDb以外にも様々なサイトが出てきます。
様々な団体や人たちが様々な方法でそうした議論をするのは喜ばしいことですが、けっこういい加減なランキングになっているのもあります。
1位がトム・ハンクスで、2位がジョニー・デップとか、ちょっと馬鹿馬鹿しいですよね。
トム・ハンクスは確かにアカデミー賞受賞、ノミネート回数や長きに渡ってトップスターとしてハリウッドに君臨し、もちろん「いい役」も多いということで、こうしたランキングの上位へ来るクオリティはもちろんあります。
しかし「1位」とか、そんな場所にいるのはどうか?
わたしもトム・ハンクスには大いに敬意を抱いていますが、どこか物足りなさも常に感じ続けています。
「どこか」と書いたけれど、それはけっこう明確で、

「カリスマ性」そして
「美」というものです。

ロバート・デ・ニーロ(特に70年代の)にあって、
トム・ハンクスに「ない」とは言いませんが、希薄なものが、

「カリスマ性」そして
「美」というものなのです。

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