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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~エドワード・バーンズの短き全盛期~悪魔的ストラーロ、『レッズ』のシーン~若き日の動物的吉永小百合。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『プライベート・ライアン』の公開が1998年。
『13ミニッツ』の公開が2001年。
どちらにも出演している俳優が、エドワード・バーンズ。
エドワード・バーンズ、『プライベート・ライアン』ではトム・ハンクスの次にクレジットされている。
もちろんヴィン・ディーゼルよりも前に。

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『レッズ』のラストシーン。
暗い廊下
闇に支配されているけれど、蠢く人物たちはクリアに映し出されている。
イコンに向かって言葉を唱える女の後ろ姿。
イコンにライトは当たっているけれど、女の後ろ姿はまるで「闇が人間の形をしている」ようだ。
カップを落とす
少年がそれを拾う。
「スパシーバ」
少年はにっこり笑う。
天使のように。

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吉永小百合は1945年生まれで、『伊豆の踊子』は1963年公開の映画だから、10代後半ということになる。
伝説的作品『キューポラのある街』はその1年前の1962年だ。
要するに、十代で映画スターとして頂点まで上り詰めたまま、平成30年の現在まで50年以上、その座を脅かす者さえ現れていないという凄い女優なのである。
ところでこれはわたしの感じなのだが、『キューポラのある街』を観ても、『伊豆の踊子』を観ても、要するに10代の吉永小百合からは、「動物的」な印象受けるのだ。
10代であるから、じっくりと人間的深みを出すのは難しいとしても、他の十代の女優にはそうそう見られない「動物的」印象である。
つまり、常にハイテンションで喋り、動き、表情はある程度固定されたまま、90分程度の映画の中で、有無を言わさず一気に見せてしまう。
おそらくわたしが当時もし同年代の男としてリアルタイムで吉永小百合を観ていても、特にファンにはならなかっただろう。
正直、観ていて少々疲れるのである。

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