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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~映画における「クラシック」と、エミリー・ブラントと『プラダを着た悪魔』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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映画における「クラシック」とは、いろいろな説明があろうかと思うが、要するに「映画史の中で不動の地位を得た作品」、たとえば『市民ケーン』、『カサブランカ』、『風と共に去りぬ』、『エデンの東』などなどなどなど。
「よき映画ファン」であろうとするのなら、「クラシック」と目される作品はできる限り観る努力をすべきである。

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エイミー・アダムズとエミリー・ブラントのどちらが好きかと問われれば躊躇なく「エイミー・アダムズ!」と答えるが、エミリー・ブラントも好きである。
もちろんぼくはエイミー・アダムズとエミリー・ブラントのどちらが好きかと問われたことはない。
エミリー・ブラントは『プラダを着た悪魔』への出演でゴールデングローブ賞助演女優賞などにノミネートされているが、実は『プラダを着た悪魔』初見の時にはエミリー・ブラントの存在をほとんど認識できなかった。

それにしても『プラダを着た悪魔』、「クラシック映画」の一つに数えられるまでの作品になってきたね。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~グーグルレンズで植物の名前を調べる美ヒヨコ~デンゼル・ワシントン『フェンス』、映画としての充実。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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グーグルレンズである程度植物の名前、分かるんですね。
確実な答えが常に出るわけじゃないが。
なにせぼくはけっこう長い間フラワーデザインやってた割に花、植物の名前、しらないんだ。
街路樹とカ見てもほとんど分からない。
道行く家々の庭木などもほとんど分からない。
まして我が家の庭を占領する雑草の名前なんてぜん。
でも最近グーグルレンズの存在を知って使って、トネリコとかサルスベリとか…おっともっと調べてたのに早くも忘れてるぜ。

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デンゼル・ワシントン監督の『フェンス』はオーガスト・ウィルソンの戯曲『Fences』の映画化であり、要するにもともと舞台劇として創作された作品なのだから、冒頭から俳優たちの台詞の多さに驚きはしなかったけれど、(大丈夫かな、これ)と懸念したのも事実である。
映画と舞台劇は似て非なるものでと言うか、場合によってはまったく異なるもので、映画化する際には監督に余程の映像センスがなければ、耐え難い作品になることもある。
もちろん素晴らしい映画化となった作品も数知れず、要するに『フェンス』は、「素晴らしい」のだ。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~デ・ニーロ『キング・オブ・コメディ』、シャロン・テートに武術指導するブルース・リー~モノクロならではの恐怖、『悪魔のような女』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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翌日ぼくはデ・ニーロの『キング・オブ・コメディ』を観た、マーティン・スコセッシ監督の、もちろんうたちゃん(母)と一緒に。
一秒も目を離せないデ・ニーロの畳み掛けるパフォーマンス、もちろん鑑賞者に眼を逸らす暇を与えないスコセッシ演出。

ブルース・リーがシャロン・テイトに武術の指導。
欧米でのアジア人蔑視、有色人蔑視が今より遥かに、普通に激しかった時代。
ブルース・リーは米国を、世界を相手に戦い、死んだ。

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アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『悪魔のような女』は1955年公開の映画であって、それは当然わたしが生まれるよりもずっと前なのだが、この恐るべき恐怖スリラーを映画館で鑑賞できなくて、ひょっとしてわたしはラッキーだったのかもしれない。
わたしが『悪魔のような女』を初鑑賞したのは恐らくレンタルビデオでだけれど、怖かった、心底震え上がった・・・という意味では、わたしの映画鑑賞史の中でも屈指である。
シモーヌ・シニョレとヴェラ・クルーゾーの2人が素晴らしいことは言うまでもないが、モノクロ画面に宿る美と恐怖を極限まで高め上げたクルーゾー監督は凄過ぎる。
映画館で観ていたら、いったいわたしはどうなっていたのか・・・。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~あまりな『チタン』にパルムドールのカンヌの凄み~『ハンナ』シアーシャ・ローナンは本当に強そうに見える。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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ブルース・リーのドキュメントを眺めながら

前の晩、カンヌでパルムドールを獲った『チタン』を観たのだが。
凄い映画だけど、凄過ぎる映画だけど、
もう一度観るかと言われれば、
いや、観るかもしれないけれど。
あまりと言えば、あまりな内容ではあるけれど、『チタン』にパルムドールを与えるカンヌはあらためて凄い。

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今、シアーシャ・ローナンを観ずして誰を観る!
というくらい凄まじい勢いで、その実力もハリウッドでのポジションも上昇し続けている若手女優シアーシャ・ローナンだが、この『ハンナ』は、彼女が『つぐない』や『ラブリー・ボーン』などで世界に衝撃を与えた後、やや方向性が揺らいでしまう時期よりも少し前に出演した作品だ。

ジョー・ライト監督の、この『ハンナ』は、ローナンの他にエリック・バナ、ケイト・ブランシェットと、まあ特にブランシェットは今や「そこにいるだけ」でも圧倒的オーラを発揮して観応え十分なのだが、魅力のキャスティングである。

そしてフィンランド森林地帯で父親に徹底的なサバイバル訓練を施され、「少女暗殺者」として育てられたシアーシャ・ローナンの強いこと、強いこと!
その「強さ」に説得力を持たせているものこそ演出力なのだが、北方の真っ白い景色も寒そうで、この夏に相応しい。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~マルグリット・デュラスと山下洋輔~本当に怖かった、『セブン』オープニング。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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7月にマルグリット・デュラスの『愛人』を読み返した。
素晴らしい、圧倒的に。
テンポよく魔術的。
そしてぼくは
山下洋輔の音を聴きながら、
7月も後半に向かうある夜
アマプラとネトフリを両方契約しようかと
考えながら。

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「こわい、本当にこわい、こんなにこわいことは初めてだ」・・・一言一句正確がどうかは定かではないが、デヴィッド・フィンチャー監督『セブン』日本公開時のテレビスポット宣伝コピーはこのようなものだった。
(映画館で何かが起こっている・・・観てはならないものがそこで上映されている)イメージが、わたしだけでなく、多くの日本人の中に醸成されたであろう、秀逸なテレビスポットだった。
そして超満員の映画館、オープニングでナイン・インチ・ネイルズのノイジーで歪んだスコアが響き始め、連続異常殺人者のクリエイションの上にスタッフ、キャストの名前が揺れながら現れ、消える・・・わたしはこの時点で映画館から逃げ出したくなった。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『コンボイ』と『マッドマックス』の共通点~『パトリオット・デイ』の存分な迫力。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『パトリオット・デイ』

『コンボイ』の出演者はクリス・クリストファースン、アリ・マッグロー、アーネスト・ボーグナイン、バート・ヤングなど。
今回アーネスト・ボーグナインの(さすがオスカー俳優)という奥深さも見ることができた。
そして大型トラックが「コンボイ」を成して疾走する映画ならではの爽快感、そして大地と大空の捉え方の素晴らしさ。
ちょっと『マッドマックス』を彷彿させてきうれたんだよね。
『コンボイ』の公開は『マッドマックス』より1年早い。

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ボストンマラソン爆弾テロ事件とその犯人逮捕に至るまでの102時間を描いた映画『パトリオット・デイ』は、もちろん米国人の愛国心をいたく刺激する作品であるという点注意が必要だが、一本の重厚なサスペンス映画として観れば、非常によくできたものとなっている。
とりわけ2人の爆弾テロ実行犯の兄弟と警察の銃撃戦・・・犯人たちが爆弾や手りゅう弾を使用したことでほとんど戦争状態の市街戦の様相を呈しているのだけど、凄まじい迫力だ。
迫力と言えば、テロ犯人の兄の方の妻を尋問するシーンがあるけれど、尋問官と妻の顔の切り返しの連続で積み上げていく演出方法により不気味なまでの濃厚な雰囲気が創造されている。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~浜田省吾ら「テレビ番組へ出ない」選択をした人達の猛烈な色気~『イコライザー』のデンゼル・ワシントンは「凄く強い」が成立。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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そう言えば、あいみょんも尊敬するミュージシャンとして浜田省吾を挙げていて、テレビで「もうひとつの日曜日」の歌詞がいかに凄いかとうとうと語っていた。
浜田省吾も基本的にテレビ番組へは出なかったよね。レコードの発禁をくらったPANTAもちろんテレビ番組へは出なかった。
今のミュージシャンたちはテレビ番組へ出ることにこだわりない人が多いけれど、「出ない」を選択した人たちの醸し出す濃厚な薫りや色気を無視するわけにはいかない。

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デンゼル・ワシントンが元CIAエージェントの暗殺者ロバート・マッコールに扮する『イコライザー2』。
「2」ということは普通「1」があるわけで、『イコライザー』もなかなか愉しめるノワール・アクションである。
デンゼル・ワシントンのマッコールがやたらと強く、その強さは非現実的なのだが、そこは映画の魔術、優れた演出は、「非現実的だけれど、現実っぽい」感覚を創り出すのである。

「やたらと強い」が説得力を持つためには、当然ながら、演じる俳優に説得力が必要だ。
だからと言って、現実の格闘家や軍人を映画に出しても作品が成立するはずもなく、そこは見た目もほとんど老けない名優デンゼル・ワシントン当時63歳、十分に「目茶目茶強い」が成立している。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~サム・ペキンパー『コンボイ』は「宣戦布告」した~フィリップ・マーロウに最も相応しいのはポール・ニューマン? [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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サム・ペキンパー監督の『コンボイ』は、公開当時のTVスポットをよく覚えているけれど、日本では大ヒット狙いの大作扱いだった。
そしてある程度はヒットしたようだ。
『コンボイ』のような汗臭い映画がヒットする時代は「いい時代」と言える。
TVスポットのキメコピーは、

「宣戦布告、コンボイ!」だった。

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ハードボイルド小説史上最高の私立探偵と言えば、おそらくレイモンド・チャンドラーが造形したフィリップ・マーロウを挙げる声が多いだろう。
しかし今まで映画でマーロウを演じたロバート・ミッチャムやエリオット・グールドなどは必ずしも満足いくイメージではなかった。
では誰がマーロウを演じればいいのか、よかったのかと言えば、この7月に映画『評決』を久々に鑑賞し、(このポール・ニューマンに違いない!)と感じたわけだ。

シドニー・ルメット監督の『評決』は、ほぼ人生を投げた生活をしていた弁護士が、医療ミスで植物人間となった女性の姿に心を動かされ、「大きな権威による不正」と戦う決意をする。
だからと言って、演出にも演技にも大仰なところは何もない。
そしてシャーロット・ランプリングの存在も、ハードボイルドな雰囲気をよりコクのあるものにしている。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ミッキー・ローク『ジョニー・ハンサム』は豪華キャストだが意外にも~最上のハードボイルドでかつ愛の映画『キャロル』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『ジョニーハンサム』という映画は容姿最盛期のミッキー・ロークが主演。
それがまあ最初は「奇形の顔として生まれた男」として登場し、ちょっとエレファントマンのような特殊メイクなんですわ。
で、特殊メイクのシーンがけっこう長いんだけど、整形手術で容姿全盛期のミッキー・ロークの顔になって、(おお、何という美しい顔にしてくれたんだ!)と、たいがいな展開なのだけど、あらためて観るとキャストが凄いんですわ。
モーガン・フリーマン、エレン・バーキン、フォレスト・ウィテカー、ランス・ヘンリクセンなど。
さらに監督がウォルター・ヒルで音楽がライ・クーダーだから、ずっと前に観てたけど、今観たらもっと愉しめるかなと思って観たら、そうでもなかった。
いろいろ端折ったような展開だったなあ。

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「ハードボイルド」というスタイルはどちらかと言えば、暑苦しい街に生じる暑苦しい事件の中の暑苦しい人間関係を描いているものだけれど、それだけにと言っていいかどうか、暑い夏に読むに相応しい小説が多く、ハードボイルドスタイルの映画も同じことである。
だからわたしはあの7月、パトリシア・ハイスミスの『キャロル』を再読していたのだろか。
パトリシア・ハイスミスがハードボイルド?と首を傾げていただいてもけっこうだが、映画化作品『キャロル』も大傑作であることは、これまでにも書いた。
もちろん、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~個人的には『鉄道員』より『Railways 愛を伝えられない大人たちへ』が好きです~オカルトハードボイルドとしての『エンゼル・ハート』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

///
  
★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『Railways 愛を伝えられない大人たちへ』なんて、10~20代の頃だとわたしの場合、「そんなヌルい映画、観るわけねえだろ!」となったわけだが、今はこういうのもしっかり愉しめちゃう大人の美ヒヨコなんだよねえ。
同じく鉄道を扱った映画としては、『鉄道員(ぽっぽや)』より『Railways 愛を伝えられない大人たちへ』の方が好きです。
『鉄道員』は高倉健は圧倒的に美しいのだけれど、ストーリーや演出などわたしの好みには程遠かった。

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アラン・パーカー監督の『エンゼル・ハート』は、わたしが初鑑賞の際に(うわっ、こりゃ怖い!)と心底ビビった映画の一つである。
残虐シーンもあるにはあるが、スプラッターホラーのように連発されるわけでもなく、登場人物の絶叫シーンが乱打されるわけでもない。
しかしタイムズスクエアの雑踏の中、振り向こうとする男は誰なのか?
あのアパートメントの一室はなぜ赤く煌々と灯りがついているのか?
あの黒人夫人は誰の血を拭いているのか?
ハードボイルドノワールのぞくぞくする展開に身を委ねる快感と、そして何と言っても、ロバート・デ・ニーロ、美貌最盛期のミッキー・ローク、さらにシャーロット・ランプリングの共演こそ映画ファンにとって最高の愉悦である。

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