●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~身障者など専用駐車スペースに原付バイク~『ジェーン・ドゥの解剖』オルウェン・ケリーOlwen Kellyの美。 [「言葉」による革命]
わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。
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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。
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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。
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7月終盤のある昼間。
とても暑い12時過ぎ。
ぼくはうたちゃん(母)とファミマへ寄った。
もちろんファミチキを買うために。
ところが駐車場の車椅子・身障者用スペースのど真ん中に堂々と原付バイクが停められている。
ど真ん中に堂々と原付バイクが。
(どんな奴がこういうことを・・・)とただでさえ猛暑なのに暑苦しい怒りが込み上げる。
ファミチキを買って車に戻ろうとしていたら、件の原付の主が現れた。
50~60代と思しき中年婦人。
「婦人」という言葉を使いたくないほどの品の無さ、だらしない雰囲気。
ぼくは車の窓を開け、その女に
「そこへ原付置かれちゃ困りますがねえ!」
と声をかけた。
女はぼくを一瞥し、何も言わず原付に乗り去って行った。
まあこういう人間はこういうものである。
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『ジェーン・ドゥの解剖』という映画には「人体の解剖シーン」がうんとこさと出てくるので、わたしも食後すぐには観る気が起らなかった。
もちろんそれらは本物の人間の遺体を使っているのではなく、「作りもの」ではあるけれど、「どの程度に作られているか」が分かるまではいささか戦々恐々というものである。
その解剖シーンだが結論から言えば、観始め一定時間経てば慣れた。
それよりも作品開始当初には「怖い」感の強かった「ジェーン・ドゥの死体」が、後半に差し掛かるに従って、美しく美しくなっていくので見惚れてしまった。
死体役は、「オルウェン・ケリーOlwen Kelly」というダブリン出身の女優・モデルで、俳優としての実績は取り立ててないが、少なくとも『ジェーン・ドゥの解剖』における死体役は世界中の多くの映画ファン、ホラーファンや怖い映画好きにインパクトを残したのは間違いなく、もちろん「死体役」で上手に撮られたからその美が際立ったのだけれど、わたしも今後「オルウェン・ケリーOlwen Kelly」の名をキャストに発見すれば、(ちょっと観てみようかな)とは思うだろう。
それにしても、「女性の遺体を解剖する」シーンを中心として90分弱飽きさせないのも映画ならでは力だ。
俺 自分の血はダメだけど
人のは見れるかも 映画なら余裕かも
匂いがあるとちょっとキツイと思いますけど映画ならね
by (。・_・。)2k (2023-08-26 03:58)