SSブログ

吉高由里子が日本的SMの世界には合わない理由 [吉高由里子]

今週は「ラブシャッフル」を観たが、
いや実は先週は日本アカデミー賞を観ているうちに忘れていたもので、
そう、俳優たちは悪くない、香里奈とDAIGOを省いて。
悪いのは脚本だ。
そしてまたぞろ終盤に近づいて、
野島伸司による野島伸司風「背徳ごっこ」が始まりそうな予感。

吉高由里子は前髪を少し分けている方が似合う。
もちろん揃えているものいいのだが。
吉高由里子が松田翔太と二人で映る。
それだけで美しくて胸が熱くなる。
その美しさは、
もちろん形のことだけを言っているのではない。

などと思いながらボーっとしていて
ふと思いついたのが、
どうして吉高由里子は日本的SMの世界が合わないかということ。
別の欧米的SMが似合うと言っているわけではない。
もっと似合わない。
けれど日本的SMは似合いそうだし、
「蛇にピアス」の中でもそれらしいことをやっているから、
それなのに似合わないのはなぜか考えていた。

おそらくそう思わせるのは、
吉高由里子の「覚悟」だろう。

「覚悟」のある人間は強い。
日本的SM世界が性愛の対象とするものは
「弱さ」を持った人間だ。
強そうに見えても「弱さ」を持った人間。

吉高由里子に「弱さ」がないと言っているのではない。
けれど「覚悟」がある分、
「覚悟」のない人間よりも遥かに強い。
そして「よこしまさ」がない。

日本的SM世界は、
対象の「弱さ」と「よこしまさ」をつく。
そして対象とされた者は
「弱さ」と「よこしまさ」をつかれたことに
この上ない快感をおぼえる。

少し抽象的だが、
まず今回はこのように書いておこう。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0