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デヴィッド・リンチの脳内に吉高由里子が現れた場合 [吉高由里子]

すべてがそうではないが、芸術作品は要するに「作者の脳内」を見せられているという側面は多分にある。
現象すべては脳内で創り出したものだという人もいるが、わたしはそのような考えには組しない。
けれどもちろん、現象のかなりの部分が脳内現象である、あるいは脳内現象の投影であるという考えを否定するつもりもない。
「すべて」などと決めつける言い方が、わたしは基本的に嫌いなのだ。

ところでデヴィッド・リンチの作品は「脳内」や「脳内の投影」というレベルではなく、リンチの脳そのものを見せられている気分になる。
そしてそれは鑑賞者誰にでもある脳内の不可解な部分、原初的な恐怖といったもので、だからこそ不可解ながらも世界の映画・アートファンを魅了して止まない。
「脳そのもの」であるというのは、つまり抽象性や隠喩性へと向かうのではなく、あくまで「生物としての脳」という意味だ。
脳に存在する無数の襞を広げ、そこに現れては消える映像をそのままつなげて映画にしたというイメージ。
確かにそんなことのできるメジャーな映画監督は、今だとリンチだけか。
昔だと、フェデリコ・フェリーニの映画にそんな感じがあった。

吉高由里子がそんなデヴィッド・リンチの脳内に現れる・・考えただけで興奮するではないか。
そして赤・黒・紫などが似合う吉高由里子は、デヴィッド・リンチの映像世界に、実にマッチするに違いない。
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