〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「読書論&文明批評」~「本がするする入るコンディション」とは?大学は「ぼっち」対策をするべきか?2017年3月7日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「読書論&文明批評」~「本がするする入るコンディション」とは?大学は「ぼっち」対策をするべきか?
・本はいつも、少なくとも数冊は身の回りに置いておく。
するとふと手が伸びてページを開くと、あら不思議、するする入っていくことがるんですね。
毎日社会生活を送っていると、(ど~も、この本、入ってこないなあ~)という時がある。
例えば坂口安吾は前から好きな作家の一人ですが、どうも入ってこない時期があった。
ところが2016年4月、かつてなくするする入ってきたんです。
「するする入る」というのは読書において、何ら障害がなく、その「本質」が愉しめてしまう状態です。
これは心身のコンディションによって大きく変わるのですね。
同じ小説でもコンディションがよければするする愉しめるし、コンディションが悪ければ字面だけ追ってしまう状態になる。
特に小説は入らない時はいくら読んでも入らない。
無理矢理内容を味わおうとすると、1ページから先へ進まないこともあります。
心身のコンディションを常に上々に保てればいいのですが、なかなか難しい。
だからこそ、「本は常に複数、身の回りに置いておくべき」なのです。
ある時ふと手にした本が「するする入ってきて」、その人の人生を変えてしまうこともある。
そこまで行かなくとも、(ああ、何て素敵な時間を過ごせたんだ)という心からの充足感を味わうこともよくある。
そんな時間が本当に大切なんですね、人間の人生にとって。
・わたしの大嫌いな新語の一つが、
「ぼっち」ですが、
例えば大学の中には
「新入生がぼっちにならないような対策」を立てているところもあるそうです。
大学生ですよ。
「ぼっちは嫌だあ~」なんて言うけれど、読書はいつするのか?
お勉強以前に、
「精神修養」をしておくべきですね。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
・本はいつも、少なくとも数冊は身の回りに置いておく。
するとふと手が伸びてページを開くと、あら不思議、するする入っていくことがるんですね。
毎日社会生活を送っていると、(ど~も、この本、入ってこないなあ~)という時がある。
例えば坂口安吾は前から好きな作家の一人ですが、どうも入ってこない時期があった。
ところが2016年4月、かつてなくするする入ってきたんです。
「するする入る」というのは読書において、何ら障害がなく、その「本質」が愉しめてしまう状態です。
これは心身のコンディションによって大きく変わるのですね。
同じ小説でもコンディションがよければするする愉しめるし、コンディションが悪ければ字面だけ追ってしまう状態になる。
特に小説は入らない時はいくら読んでも入らない。
無理矢理内容を味わおうとすると、1ページから先へ進まないこともあります。
心身のコンディションを常に上々に保てればいいのですが、なかなか難しい。
だからこそ、「本は常に複数、身の回りに置いておくべき」なのです。
ある時ふと手にした本が「するする入ってきて」、その人の人生を変えてしまうこともある。
そこまで行かなくとも、(ああ、何て素敵な時間を過ごせたんだ)という心からの充足感を味わうこともよくある。
そんな時間が本当に大切なんですね、人間の人生にとって。
・わたしの大嫌いな新語の一つが、
「ぼっち」ですが、
例えば大学の中には
「新入生がぼっちにならないような対策」を立てているところもあるそうです。
大学生ですよ。
「ぼっちは嫌だあ~」なんて言うけれど、読書はいつするのか?
お勉強以前に、
「精神修養」をしておくべきですね。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
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