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●AKB48のCM減少で秋元康に否定的なコメントを書くのは「妬み」なのか?「批判」と「悪口」の違いが分からない日本人を減らそう! [「言葉」による革命]

●AKB48のCM減少で秋元康に否定的なコメントを書くのは「妬み」なのか?「批判」と「悪口」の違いが分からない日本人を減らそう!

末尾ルコ「社会観察の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

AKB48のCMが減り、欅坂なんたらだの乃木坂なんたらだのの方にシフトしている的な内容の記事がYahooにアップされていたので、(このような記事にどんなコメントが付くのかな)と、殊勝にも社会研究の一端をしてチェックをしてみたわたしです(←山田姉妹(みずいろの手紙)風に)。
で、コメント欄を見てみたわけだが、「秋元康の需要自体が減ってほしい」的至極真っ当な意見も多く書き込まれていたが、そうした意見に対して次のような意味の書き込みも少なからずあった。

「秋元康くらい売れるもの作ってから言え!」
「成功者に対する嫉妬、妬みは醜いねえ」

など。

まあ、「成功者に対する嫉妬、妬み」のメンタリティを原動力にそうしたコメントを書き込んでいる人もいるだろう。
しかし中には多くの「客観的批判」も含まれているはずだ。
ましてや、「秋元康くらい売れるもの作ってから言え!」などという噴飯物のコメントを書いて「一本取ったつもり」になっているような人間は、まごうことなき

「家庭教育・学校教育の失敗作」

だと言えるだろう。

「秋元康くらい売れるもの作ってから言え!」などという理屈が通るのであれば、日本では誰も総理大臣を批判できないことになるし、世界の誰もアメリカ大統領を批判できないことになる。
会社内においては、誰も社長を批判できないことになるし、学校内では校長を、一つの県の中では知事を誰も批判できないことになる。
「トップを批判してはいけない」環境がお好みであれば、北朝鮮か中国へ移住すればよろしい。

そもそも多くの日本人は、「批判」と「悪口」の区別がついてない人が多くて、何らかの対象に対して真っ当な批判をすると、その対象のファンなどがいきなり逆ギレしたり、お粗末極まりない曲解をしたりということが日常茶飯のように生じるのだけれど、物事を進めよう、よくしようという観点からすれば害毒でしかない。
こうしたことはネット上やメディア上でなくても、一般生活上、仕事上などいろいろな場面で出くわす理不尽だろう。

もちろん「批判」と「悪口」がやや判別し難い形で出てくることもある。
ではここで、「批判」と「悪口」の判別方法の一例を挙げておこう。

・ある種のジャンルに対する言葉の場合、「そのジャンルに対する愛情」があれば概ね「批判」であり、なければ概ね「悪口」である。

例えば秋元康とAKB的商法に対して、「音楽界、ショウビジネス界がより充実した発展をするためには、あのような方法論が主流ではいけない」などの考えの下に出される言葉は「批判」であり、単に「秋元康が虫が好かない」とかそれこそ「成功している人間は皆嫌い」とかの感情の下に出される言葉が批判だと、大雑把にはそう言える。

付け加えれば、「理性によって導き出された言葉」と「感情のみに突き動かされて出てきた言葉」の違いとも言えるだろう。

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コメント 2

いっぷく

そうですね。「秋元康くらい売れるもの作って」いるからこそ、多くの批判にさらされるのは当然ですからね。
それと「悪口」の好きな人間ほど、自分が「批判」されると「誹謗中傷するな」と騒ぎますね。
日本はアメリカのような訴訟社会でない反面、物事をきちっと議論することを好まない傾向があるのでしょうか。
悪意とか感情的なものは心の中のことなので、「おまえ悪意があるだろ」と問い詰めても「いや、そんなことはない」ととぼけられてしまうとなかなか客観的に示すのは難しいので、さしあたって「批判」とは悪意のあるなしにかかわらず論旨に公益性があること、ということにしています。何をもって公益性があるか、というのはまた難しいところなんですけどね。

本当は、私ももっと批判精神を発揮したものをブログに書きたいのですが、So-netブログではなじまないかなあと遠慮することがあります。いえ、正直なところかなり遠慮していますね。
もちろんネット全体に公開しているものですから、閲覧者はSo-netブログユーザーだけではないのですが、nice!を付けコメントしあい巡回していることで少なからず記事づくりに影響を受ける「地元」の価値観をまったく配慮しないのもどうなのかな、と考えるとなかなかむずかしいですね。

不登校、障害、病欠者などに理解ある学校訪問は、当初長男が入れそうな学校はないかというところから始めたのですが、今は私自身が面白くなっています。
いじめや落ちこぼれ(落ちこぼし)人間関係の悩みなど、生徒が疎外され、新たな行き場に対するニーズが高まっているのだなあということを感じています。
そして、私も自分がこうした学校に行っていたらよかったのにと思いました。
私は当時から定時制や通信制、実業高校などに偏見はなかったのですが、母親が、母子家庭で裕福でもないくせに見栄っ張りでいい顔をせず、決して心から望んだわけではない窮屈な学校生活を送ってしまいました。

私の母は、自分の母親(つまり私には祖母ですが)が、殿さまの遊び相手をつとめた元ナントカ藩の武家の子孫で、兄弟も旧帝大でみな優秀だと自慢するのですが、その祖母自身は高等女学校止まり。当時ならそれでもすごいんだと母は言い、私もそんなもんかと子供の頃は思わされてきましたが、今思うに、たぶん祖母は、優秀な一族であるのが事実なら、むしろ家庭ではひとりだけ大学に行けずバカにされていて、ジェラシーとコンプレックスの塊のような人間として育ったのではないかと思います。
それは子育てにはっきり現れ、母を含めた母の兄も姉も妹も弟も、みな猜疑心と嫉妬心とコンプレックスが強く見栄っ張りで、自分の子供の出来の悪さを棚に上げて、甥や姪の悪口を言うのです。きっと、世間が狭くて気持ちの矮小な人たちなのでしょう。
私もずいぶん悪口を言われたようで、まあそういう人たちの血縁者として生まれてしまった「ほしのもと」が決してよくないと思うのですが、自分もそうならないように、世の中の色々なことを知って、気持ちの大きな人間になりたいと思っているのです。

by いっぷく (2017-11-14 02:05) 

hana2017

物事の判断材料として、つい感情優先になってしまっている、自分自身について、それは否めない事実ながら。
このところの朝日新聞社の記事内容のお粗末さ。
記事のほとんどを占めるのは、安倍憎し・・・の感情のみ。
自社の不始末についての反省もなく、取り上げるのは自分達の主義主張にそった内容ばかり。
>「トップを批判してはいけない」環境がお好みであれば、北朝鮮か中国へ移住すればよろしい。
批判するなとは言いませんが、あまりに的外れで、執拗な批判はいい加減にしてほしい。
そんなに今の日本が気に入らないのなら、それこそ北朝鮮か中国人になったらいかが?と言いたくなります。
秋元康がプロデュースしたアイドルグループって、AKB48は当然ながら、全く興味がないのでどうでもいいです。
by hana2017 (2017-11-14 22:36) 

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