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●2018年・・・関空と新千歳のダウンは何を意味しているのか?~滝川クリステルのいとこの脊髄損傷闘病と人生~そして「ながらスマホ」にもっと厳しい目を。 [「言葉」による革命]

●2018年・・・関空と新千歳のダウンは何を意味しているのか?~滝川クリステルのいとこの脊髄損傷闘病と人生~そして「ながらスマホ」にもっと厳しい目を。

末尾ルコ「森羅万象の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

何と、9月5日に早くも急性鼻炎的くしゃみと鼻水を経験してしまった。
急性鼻炎的と言っても、軽くくしゃみと鼻水が出る程度だが、この症状だけでも日常生活にかなりの邪魔となる。
朝晩は心地よい空気にもなり始めたが、それだけに体調管理には心せねばならない、と自分に言い聞かせる。

それにしても2018年、西日本集中豪雨、酷暑、台風20号、21号、その後すぐに北海道に地震とは、「天に慈悲なし」をつくづく思い知らされる。
北海道は全域停電で、完全復旧には1週間はかかるとの情報もある。
停電の恐ろしさ・・・被災地の方々のできる限りの安全、早めの復旧を念じるばかりだが、今年2018年に「被災地」となった地域のいかに多いことか。
そして今回の台風21号と北海道の自信では、関西国際空港と新千歳空港が被災したという現実がある。
これはかなりの衝撃だ。
一国の玄関口となる国際空港は余程の災害が来たとしても機能するべく、場所も含めて設計されているのではないのか。
ひと月の間、と言うよりも、数日の間に二つの巨大国際空港が機能停止した事実は極めて重い。
わたしは必ずしも2020東京五輪を歓迎している人間ではないが、そうした文脈を抜きにしても、(日本で五輪なんて大丈夫か?)と思わざるを得ない。
そしてあまりに多くの災害が続く2018年、ここで「打ち止め」とも考え難い。
「どんなことが起こっても慌てない心の準備」は常にしていなければならないが、家屋改修とか災害対策アイテム購入とか、「かなりのお金」を要する準備はそう簡単には手を付けられない辛さもある。

話は変わるが、わたしは滝川クリステルのいとこが俳優をしていたこと自体しらなかったのだけれど、しかも彼は脊髄損傷の重傷を負って闘病中というではないか。

脊髄損傷の滝クリいとこ俳優 錦織から激励ユニ届く(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180904-00000137-dal-ent

このような記事の見出しに「滝クリいとこ」などと書く神経はどうしようもないが、撮影中に自転車に乗っていて事故に遭ったという。
要するに、自転車へ乗っていても、もっと言えば、「歩いていても」、人間いつどうなるか分からないものなのだ。
それを考えたら、「歩きスマホ」なんてやっている連中、まして「自転車スマホ」とか「自動車スマホ」とか、いい加減厳しく取り締まる法律を考えるべきだろう。
警視庁の発表によれば、2016年の「ながらスマホ」に関連した交通事故は1999件、その中で死亡事故は27件だというが、これを多いとか少ないとか論要する以前に、まず社会的に厳しい目を向けることが必要だろう。


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いっぷく

>昨年9月、ドラマ撮影時の自転車事故で脊髄を損傷し闘病中

wikiで状態を見ましたが、あまりよくないですね。回復には段階があって、3ヶ月の急性期でどれくらい回復するか、次に6ヶ月ではどうか、あとは2年が著しい回復ができるリミットといわれています。
私の長男が、3ヶ月目では全くダメで、6ヶ月目を過ぎてから歩けるようになり、9ヶ月目で発語がありました。
ただ滝川英治の場合、知能をやられていないようなので、たとえば口と指が動けば、端末で意思表示や屋内のものをコントロールできるなどが期待できますから、それを目指しているのかもしれません。プロレスの高山もそんな感じですね。
自転車で両手を塞いで運転して女性を轢殺してしまった事件もありましたが、自転車はかりにスマホを使わなくても、たとえばブレーキがちゃんときくのかとか、決められた車線を走っているか(逆走禁止など)、車両としての安全管理をしていかないといけないとおもいます。
ところで、そのニュースを検索したら、関連ニュースで「中井美穂、人工肛門つけて仕事していた」というので少し驚きました。
ほんと、人生はいつどこでどうなるかわかりません

ポケモンゴーが2年前に大流行したとき、「ながらスマホをしなさい、と言っているようなものを、はやらせるべきではない」という内容のブログ記事を書こうとしたら、ポケモンゴーファンと思しきSo-netブログユーザーが、「じょうずに『ながらスマホ』をする方法」というような内容の記事を先手を打たれて書かれてしまい、結局「ながらスマホ」をきちんと批判できなかった反省が私にはあります。
べつに、批判記事を書くことで、その人がへそを曲げて巡回しなくなったとしても、それは一向に構わなかったのですが(結局別件で来なくなったし……)、私の欠点として、1人を見て全体を推し量る癖があり、So-netブログの文化として、いけないものをいけないときちんと批判しないところではないかとおもい、ちょっと書く意欲が失せたのです。
何しろ画像の羅列には互いにお世辞を書き合い、1記事2000字は最低でも書いている私には、いわゆる「押し逃げ」ですから。以前も告白しましたが、たとえば育児ブログの他愛ない日々には熱心にコメントしている人が、私の長男の話には一切コメントしません。たまに積極的に書いてるなあと思うと、どうも私に腹蔵ありげな人とか……いや、それがいやだ、寂しい(笑)という意味ではないんですよ。つまり、きちんとしたコンテンツ、とりわけ批判的・懐疑的なものではなく、内容二の次で当たり障りのないものがウケるという文化では、どうせ書いても仕方ないというような気持ちが正直はたらいてしまったのです。私は書き屋の風上にも置けない弱い人間でした!
でもインターネットは、不特定多数に発信するものですから、「nice!」だの「コメント」だの反応が芳しくなかったとしても、あくまでネット全体を見据え書ききる、「強靭な精神力」を持つべきだと、ここのところ反省しているわけです。
まあ今は、むしろどこまでコメントが減って「押し逃げ」が増えるか見てやろうという感じで、So-netブログ文化におもねないものを書こうとおもってます。
by いっぷく (2018-09-07 02:24) 

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