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「新約聖書」・・「コリント書 13」  峻厳さ [ルコ的読書]

キリスト教というのは、日本的「御利益」神とはまったく違うというのがまず大きなポイントとなるだろう。
つまり「神」に御利益を望んではならないのだ。
とは言っても、では「神は何のためにいるのか」という根源的な疑問にぶつかり、その帰結として「神は死んだ」という選択をした人たちも数多いということだ。
しかしそもそも「神」という概念がキリスト教の中でも統一されているようには思えない。

「コリント書 13」の以下の部分。「幼子」という概念は、キリスト教の外にいる者にとっては、最も分かりにくいものの一つだ。

愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。


                           「聖書」日本聖書協会より
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コメント 4

mimimomo

おはようございます^^
キリストに限らず御仏も、わたくしは
感謝をするものと思っていますよ~^^
by mimimomo (2009-11-04 08:50) 

ゆか

おはようございます。
日本人が神様に「神頼み」をするのは、大乗仏教の影響のような気が…^^
そもそも日本には万物に神が宿るという考えの八百万の神々という考えがあり、
自然界のもの全てに感謝して日々生きている文化があった筈なのですよね。
キリスト教でも、人間を造ったものだから「神」なのであって、その神にご利益を
求めるという考えはないんでしょうね。

by ゆか (2009-11-04 09:13) 

末尾ルコ(アルベール)

mimimomo様

おはようございます。
その通りで、本来宗教はそういうもののはずですよね。

                             ルコ
by 末尾ルコ(アルベール) (2009-11-04 09:16) 

末尾ルコ(アルベール)

ゆか様

おはようございます。

まあ、「ご利益」を求める切実な気持ちをやみくもに否定はできませんが。
それ以上の「救い」を本当の宗教は持っているはずですよね。

                                  ルコ
by 末尾ルコ(アルベール) (2009-11-04 09:58) 

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