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●弟も馬鹿にされたという「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」を経てつかんだ丘みどり「本格演歌歌手」への道。 [「言葉」による革命]

●弟も馬鹿にされたという「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」を経てつかんだ丘みどり「本格演歌歌手」への道。

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

春先に丘みどりが出演した番組と最近のものを比較すると、顔のラインや腕など、少々細くなっているように見える。
それは丘みどりのオフィシャルブログで随時伝えられているキャンペーンなどの過酷さを、決して丘みどりは「過酷そう」には書かないけれど、考えればある程度痩せてきても当然のようにも思える。
丘みどりのファンとしては、少しでもキャンペーンなどを減らしながらでも十分な活躍が望める状態になってもらえるように応援していく他はないだろう。
『紅白歌合戦』出場で状況は変わっていくとは思うけれど。

丘みどりがデビュー間もない頃、「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」で歌っていたことはファンの間ではよく知られているが、最近『日刊スポーツ』の記事で読んだのだけれど、そんな衣装で歌うことに対して批判や揶揄を受け、しかも弟が、

「お前の姉ちゃん、へそ出して 演歌歌ってるやん」

と馬鹿にされていた旨、語っている。
その衣装の一つは次の動画で見ることができるが、

〈ミニスカブーツ演歌アイドル~丘みどり「風鈴恋唄」~〉

https://www.youtube.com/watch?v=TtKZc9BEbVg


まあ一体当該事務所は何を考えていたのかと言うしかない。
こんなことまでしながら、10年ほどはまったく売れず、その間どのような感情だったのか、「同じ気持ち」にはなれないにしても、「同じ人間」として推し量ることはできるというものだ。
こうした苦難、苦悩の日々を超え、ようやく手にした『紅白歌合戦』初出場の切符は、バブル的な人気で当然のような顔で出場してくる歌手たちとはまったく異なる意味を持つ。
2017年『紅白歌合戦』の丘みどり、じっくり鑑賞したい。
それにしても先に挙げた「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」の、ほとんど「キワモノ」だった時代を経て、よくぞ現在のような本格派の歌い手の地位を築いたものだと思う。
丘みどりをまだあまり知らない方はぜひ次の動画も視聴して、その信じ難い成長ぶりを確認していただきたい。

〈丘みどり~佐渡の夕笛・ 恋は女の命の華よ~〉

https://www.youtube.com/watch?v=rdG9muP7LRg

2017年『紅白歌合戦』について、「安室も桑田佳祐も出てないような紅白がどうたらこうたら」的な記事や意見も見かけたが、「そんなこと、いいじゃない!」と言いたくなる。
安室奈美恵に対して深い思い入れを持つファンは多く、何の思い入れも持たないわたしがどうこう言うのも何だけれど、「紅白出場で引退を飾る~~」とか、そんなタイプではないだろう。
しかし一部報道によれば、NHKはまだ、「桑田、安室と交渉中」などと言っているそうだ。
「もう、たいがいにせえよ!」である。



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いっぷく

Youtubeのコメントでは批判はないようですが、「太ももだけでごはん3杯はいける?」という好奇の目はありますね。
上半身のへそが出ている限りでは、予めそうであると思って観たためかものすごい抵抗感というのはありませんでしたが、下半身が映り、こぶしをきかせるところでさすがにこの格好は、と思いました。やはり太ももや腰や臍下などに目がいってしまいますからね。
ただ、いま紅白に出ることになって、売れない時は食えなかった、という誰もがいいそうな手垢まみれのエピソードではなく、こうしたことをしていた、ということがもしかしたら知ってもらうためのエピソードとしてはいい方に作用するかもしれないですね。
売り出すためにはいろいろ大変だなあと思いますが、正直、これは露出の仕方の問題で、天童よしみだったら、こういうことはたぶんないと思いますから、スタイルは評価されているということですよね。
実際にはそれ以前のところで墓場まで持っていくしかないような苦労を演歌歌手はみな大なり小なりしていると思います。
丘みどりもおそらくは例外ではないと思うので、まあこれは、表に出してもいい、芸能マスコミ向けのエピソードなんでしょうね。本当に嫌なら黒歴史として本人は絶対コメントしないはずですから。

あとはそのときの本人の気持ちはどうだったのかが興味深いところです。「傷ついた」というのが、体が観られることそれ自体よりも、見る側が歌に集中できないことが嫌だという気持ちだったかどうかですね。
落語をあまり見ない笑福亭鶴瓶も、自分はタレントとして笑われるはむしろおいしいけれど、客が落語に集中できなくなるから、落語の時に変な格好はしないといっていたことがありますね。それはアタリマエのことを言っているようでいて、凄く重要なことで、つまり客がどう見るかをいつも意識の中心において独りよがりにならないということを鶴瓶は言っていると思うのですが、歌手であれ落語家であれ、被写体となったらそれは心得ておくべきことだと思うのです。

昭和の歌姫の美空ひばりも、「卒業」と称していますが落選しただけの話で、ああいう大物は1度落選したら「卒業」というしかないですから、以後は出ないわけです。北島三郎も先手を打っただけかもしれないし。
「去る者は追わず」ではないですが、そういうものなのに、安室奈美恵や桑田佳祐だけは「追う」というのは、これまでの歌手に対する態度と整合性がないんじゃないの、と思いますね。

by いっぷく (2017-11-27 09:28) 

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