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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『ハンナ』のケイト・ブランシェットを鑑賞する快楽~『アデルの恋の物語』のアデルのあの台詞。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『ハンナ』。
シアーシャ・ローナンとエリック・バナ、そしてなにせ現代の超絶大女優ケイト・ブランシェットがたっぷり鑑賞できる。
まあ、エリック・バナをたっぷり鑑賞したいという人はそんなにはいないか。
好きな俳優なんだけど、あらためて観るとインパクトには乏しい。
『ハンナ』はシアーシャ・ローナンはもちろんだけど、ケイト・ブランシェット。
この人を観るだけで、映画ファンとしての存分の快楽を得られる。


『ハンナ』でのブランシェットは、シアーシャ・ローナン、エリック・バナと敵対する、二人の抹殺の任務を指揮する立場である。
こういう役がまたブランシェットにはぴったり嵌る。

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『アデルの恋の物語』。
「アデル」とは、世紀の文豪ヴィクトル・ユゴーの娘の一人だ。
「美しき、ストーカー女の語」という意味は、もちろんストーカー行為が美しいのではなく、異常な女のストーカー行為を克明に描いてさえ、『アデルの恋の物語』はあまりに美しい映画であるということ。
アデル・ユゴーはピンソン中尉に捨てられ、しかし妄念の虜となり、カナダまで追いかけて行き、異常繰り返し、遂には精神の崩壊へと至る。
イザベル・アジャニーの衝撃。
そしてわたしはアデルによってあたかも宣言のように語られる次の言葉にどれだけ心を燃やしたことか。

「若い娘が旧世界から新世界へ行く冒険。わたしはそれをする」

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コメント 2

(。・_・。)2k

そういう物語なんですね
新世界 もう時期行けるかもしれませんよ
by (。・_・。)2k (2023-09-15 01:28) 

hana2023

>こういう役がまたブランシェットにはぴったり嵌る。
それは仰る通りと感じました。
よく見るとそれぞれの顔のパーツの大きな作り、直線的で完璧なスーツの着こなしと、全く隙がなくて、それも役の上では大切な事です。悪役に魅力がなかったら、作品も最後まで緊張が続きません。
「アデルの恋の物語」でのイザベル・アジャニについても同様の感を受けました。
完璧ともいえる美貌がただひとことに突き進むことにより、イザベルの顔つきに険しさが出てくる。他にもいくらでもいそうなのに、何もそこまでと思える狂気。その辺りが受け入れがたかったのではと感じました。
by hana2023 (2023-09-15 10:29) 

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