末尾ルコ詩D「猫、ポルトガルのビスケットMarie」篇。〈「言葉」による革命〉・・・「あなた」も教育者になれます!末尾ルコ「映画であなたの知性・感性を徹底的に鍛える」講座~ドゥニ・ヴィルヌーヴ「複製された男」と「ブレードランナー」、そして蜘蛛。 [吉高由里子]
●末尾ルコ詩D「猫、ポルトガルのビスケットMarie」篇。
「猫、ポルトガルのビスケットMarie」
6月のある夜。
ぼくはポルトガルのビスケットを食べた。
「Marie」という名が冠せられた
ポルトガルのビスケットを。
それは表面の焼き具合が香ばしく、
僅かな苦みさえ感じる適度な味。
ぼくの素敵なネコちゃんとも
一緒に食べたいね!
●〈「言葉」による革命〉・・・「あなた」も教育者になれます!
※2015年7月14日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
〈「言葉」による革命〉・・・「あなた」も教育者になれます!
「教育」
「教育者」
この語感についてどうお感じになりますか?
少々厳めしい。
いささか古臭い。
かなりしかつめらしい。
などと感じる方は多いでしょう。
「教育」「教育者」という言葉だけからであれば、わたしもそう感じる。
しかし長い年月をかけて醸成されてきた言葉のイメージは簡単には変わらないし、軽々に外来語に取って代わらせて誤魔化すのも馬鹿馬鹿しい。
「教育」という言葉から逃げず、新たな価値を付与していくべきなんです。
末尾ルコ〈「言葉」による革命〉の方法論によれば、
「万人が教育者となれる」
「どこでも教育機関となれる」
のです。
(続きは有料メルマガでお願いします)
●末尾ルコ「映画であなたの知性・感性を徹底的に鍛える」講座~ドゥニ・ヴィルヌーヴ「複製された男」と「ブレードランナー」、そして蜘蛛。
「複製された男」が非常の観応えのあったカナダ人映画監督ドゥ二・ヴィルヌーヴでけれど、「ブレードランナー」の続編を監督することもAlcon Entertainementから発表されている。
あの完璧な映画「ブレードランナー」の続編を作るかな、というのはあるけれど、ドゥニ・ヴィルヌーヴなら観てみたい。
特に「複製された男」を観た後ではそう思う。
「ブレードランナー」は公開当時そのとてつもないヴィジュアルで多くの人に衝撃を与えたけれど、わたしは正統派ハードボイルド映画としてより愉しんだし、今でも愉しんでいる。
レプリカント的な存在が現実味を帯びてきた昨今、「人間と機械」それぞれのスタンスを思慮しつつ「ブレードランナー」や「2001年宇宙の旅」を観返すのも価値あることだ。
ところでドゥニ・ヴィルヌーヴ「複製された男」では「蜘蛛」の存在が大きな意味を持つ。
「蜘蛛」。
正直なところ、もし部屋に大き目の蜘蛛がいれば、わたしは動揺するだろう。
決して「好き」とは言えない生物の一つだ。
しかし芸術的かつ審美的には、蜘蛛はずいぶんと魅力的な存在ではある。
「蜘蛛」。
マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。
「猫、ポルトガルのビスケットMarie」
6月のある夜。
ぼくはポルトガルのビスケットを食べた。
「Marie」という名が冠せられた
ポルトガルのビスケットを。
それは表面の焼き具合が香ばしく、
僅かな苦みさえ感じる適度な味。
ぼくの素敵なネコちゃんとも
一緒に食べたいね!
●〈「言葉」による革命〉・・・「あなた」も教育者になれます!
※2015年7月14日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
〈「言葉」による革命〉・・・「あなた」も教育者になれます!
「教育」
「教育者」
この語感についてどうお感じになりますか?
少々厳めしい。
いささか古臭い。
かなりしかつめらしい。
などと感じる方は多いでしょう。
「教育」「教育者」という言葉だけからであれば、わたしもそう感じる。
しかし長い年月をかけて醸成されてきた言葉のイメージは簡単には変わらないし、軽々に外来語に取って代わらせて誤魔化すのも馬鹿馬鹿しい。
「教育」という言葉から逃げず、新たな価値を付与していくべきなんです。
末尾ルコ〈「言葉」による革命〉の方法論によれば、
「万人が教育者となれる」
「どこでも教育機関となれる」
のです。
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●末尾ルコ「映画であなたの知性・感性を徹底的に鍛える」講座~ドゥニ・ヴィルヌーヴ「複製された男」と「ブレードランナー」、そして蜘蛛。
「複製された男」が非常の観応えのあったカナダ人映画監督ドゥ二・ヴィルヌーヴでけれど、「ブレードランナー」の続編を監督することもAlcon Entertainementから発表されている。
あの完璧な映画「ブレードランナー」の続編を作るかな、というのはあるけれど、ドゥニ・ヴィルヌーヴなら観てみたい。
特に「複製された男」を観た後ではそう思う。
「ブレードランナー」は公開当時そのとてつもないヴィジュアルで多くの人に衝撃を与えたけれど、わたしは正統派ハードボイルド映画としてより愉しんだし、今でも愉しんでいる。
レプリカント的な存在が現実味を帯びてきた昨今、「人間と機械」それぞれのスタンスを思慮しつつ「ブレードランナー」や「2001年宇宙の旅」を観返すのも価値あることだ。
ところでドゥニ・ヴィルヌーヴ「複製された男」では「蜘蛛」の存在が大きな意味を持つ。
「蜘蛛」。
正直なところ、もし部屋に大き目の蜘蛛がいれば、わたしは動揺するだろう。
決して「好き」とは言えない生物の一つだ。
しかし芸術的かつ審美的には、蜘蛛はずいぶんと魅力的な存在ではある。
「蜘蛛」。
マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。
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