SSブログ

末尾ルコ詩D「猫、アレクサンドリアのカタリナ」篇。〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ詩Dを創り、広めましょう!末尾ルコ「映画でエロティシズム論」~「ニシノユキヒコノの恋と冒険」のどこがエロティックか? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、アレクサンドリアのカタリナ」篇。

「猫、アレクサンドリアのカタリナ」

夏の夜。
高知市薊野を歩いていて、
蛙が鳴いていて、
山が騒いでいた。

ぼくは家へ帰ってから、
アレクサンドリアのカタリナを思い出したんだ。

・・・・・・

ぼくの素敵なネコと
「聖女」についても語り合いたい
ね!

●〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ詩Dを創り、広めましょう!

※2015年8月25日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ詩Dを創り、広めましょう!

言葉を磨く。
言葉に関する感覚を研ぎ澄ます。
それは一朝一夕でできるものではないし、ある程度まで磨かれたものも日々の研磨を怠ると錆びついてしまいます。
刃と同じようなものですね、言葉の研鑽も。
また「言葉の鍛錬」はそのまま「脳の鍛錬」につながっています。

「言葉」も「脳」も鍛え、磨き続けることが大切。

末尾ルコ〈「言葉」による革命〉が提唱する「言葉を磨く方法論」の一つが、

「末尾ルコ詩D」

なのです。

(続きは有料メルマガでお願いします)

●末尾ルコ「映画でエロティシズム論」~「ニシノユキヒコノの恋と冒険」のどこがエロティックか?

井口奈己監督の「ニシノユキヒコの恋と冒険」について、「エロティックである」という意味の記事を先日書きました。
「エロティックである」といいますが、なかなかないんです、日本映画には。
ハリウッド映画にもほとんどない。
同じ米国でもインディ系の映画には時にあります。
ただ「どんなものにエロスを感じるか」は個人的な嗜好も大きいし、国によって文化によってずいぶんと違うものです。
同じ日本でも江戸時代と現代ではかなり違っているでしょう。
ある程度文明が成熟した社会におけるエロティシズムにとって「服装」はとても重要なファクターなんですが、江戸時代は基本が和服、そして現代日本は洋服なのだから感覚がまったく変わっても当然です。
しかしそんな時代の変化の中でも日本人として変化しない、変化すべきでないエロティシズムの感覚があるとわたしは考えています。
その一つが「恥じらい」、あるいは「羞恥心」ですね。
勘違いしてならないのは、この感覚を「女性だけが持つべき」と言っているのではなく、日本人なら「男性も同様に持つべき」だと言っているのです。

それはさて置き「ニシノユキヒコノの恋と冒険」ですが、女優のヌードシーンは一切ありません。
それなのにかなり濃厚にエロとティックな雰囲気が漂います。
出演女優は尾野真千子、成海璃子、木村文乃、 本田翼、そして麻生久美子と豪華な顔ぶれ。
この中では残念ながら成海璃子だけが飛び抜けて浮いてます。
他は皆いい感じを出していた。
中でも尾野真千子と「ニシノユキヒコノ」役の竹野内豊が職場で戯れるシーンが最もエロティックなんです。
直接的な行為をする演技はまったくない。
ところが「感じさせる」のですね。
一帯どういうことなのでしょう?
ぜひ観て頂きたいシーンです。


[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。


nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0