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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画・文学エッセイ」~三島由紀夫「作家論」から「批評論」となり、そして淀川長治・横尾忠則の、「淀川さんと横尾さん 二人でヨの字」へ行く必然。2016年10月18日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画・文学エッセイ」~三島由紀夫「作家論」から「批評論」となり、そして淀川長治・横尾忠則の、「淀川さんと横尾さん 二人でヨの字」へ行く必然。

・わたしが三島由紀夫「作家論」を読んで、即刻内田百閒を読みたくなった、というお話は書きました。
文学に限らず芸術批評・評論の役割についてはそれこそ千差万別の「論」がありますが、「批評を読むと作品を読みたくなる」というのは理想的な形の一つです。
もちろん「批評」の中には「批判」も含まれるわけで、「批評を読んだから、作品を読まなくてもいいと決めた」という場合もあり得ます。
しかしそれはそれで仕方ない。
一つ押さえておくべきことは、「批評が正しいとは限らない」ということ。
いや、「ある人の批評は、その人の意見でしかない」と覚えておけばいいかもしれない。
ただ、「より信頼性の高い批評」と言うものは存在するわけで、映画を真摯に研究しているベテランの批評家と「ユーザーレヴュー」を同列に見てはいけません。
例えばかつて作曲家の武満徹は「信頼している映画評論家」として、蓮實重彦、山田宏一、そして淀川長治を躊躇なく挙げた。
正しく歴史的名著「映画千一夜」の三人ではないか!
淀川長治は様々な分野で「超一流」と認識されている人たちと多くの対談を残しています。
どんな分野の「超一流」であろうが、淀川長治にかかれば手玉に取られ、そして「淀川長治に手玉に取られる」ことを心底悦んでいる。
そう言えば2015年「プライムニュース」出演時に当ブログでも話題として取り上げた横尾忠則も淀川長治との対談本、「淀川さんと横尾さん 二人でヨの字」で手玉に取られまくっている。
もちろん二人とも、「お互いに最高度の敬意を持って」、手玉に取り、取られているのですよ。


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