SSブログ

●ザ・シークVSタイガー・ジェット・シンが近所の店にあったことでわが想像力は・・・。 [「言葉」による革命]

●ザ・シークVSタイガー・ジェット・シンが近所の店にあったことでわが想像力は・・・。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしは子どものころ、ザ・シークもタイガー・ジェット・シンも、動く姿よりも前に写真で見た。
ザ・シークは『プロレス入門』的な本などでも定番の、いわば「プロレス初心者がまず知っておくべき必須レスラー」の一人であって、そうしたレスラーとしては、フリッツ・フォン・エリック、ルー・テーズ、ジン・キニスキー、ドリー・ファンク・ジュニア、ザ・デストロイヤー、ミル・マスカラスなどがいて、さらに「ガス灯時代のプロレス」という括りの中で、フランク・ゴッチ、ジョージ・ハッケン・シュミット、エド・ストラングラー・ルイスなどがいた。
しかし今のプロレスファンとかプ女子とかは、こうした知識はあるのだろうか。
どんな分野を愉しむにしても、「目の前のもの」だけでなく、その分野の歴史を俯瞰しながらの方が愉しみはずっと深く大きくなるのだけれど。

タイガー・ジェット・シンの場合は新日本プロレス時代から活躍したわけで、スタンダードな『プロレス入門』などではお目にかからなかった。
わたしはいつも書いているように、『ワールド・プロレスリング』の放送が長くなかった高知在住であるから、タイガー・ジェット・シンをずっと知らなかったのである。
そんな時、小学時代のある日、近所の貸本屋兼本屋兼子ども向け雑貨&お菓子屋の店頭で目にしたのが、ザ・シークとタイガー・ジェット・シンの顔面ドアップの『月刊ゴング』である。
それはザ・シークとタイガー・ジェット・シンの「インディアン・ムッドマッチ」が巻頭グラビアに掲載されている号で、「インディアン・ムッドマッチ」とは泥を敷いたリングで試合する形式であり、その見た目のインパクトたるや抜群のものがあった。
「火を吹くアラビアの怪人 ザ・シーク」を『プロレス入門』で知識としては知っていたけれど、テレビではまだ観たことがなく、わたしにとっては憧れの怪奇レスラーであったが、そのシークが泥の中で、同じような髭を生やしたレスラーに苦戦を強いられている。
(タイガー・ジェット・シンとはいったい何者なのだ?)
そしてその時タイガー・ジェット・シンに抱いたイメージは、とてもエキゾティックでフレッシュだった。
要するに当時の高知はプロレスに関しても情報過疎だったわけだが、「知らなかったからこそ」の受け取り方もあるわけで、しかも海外のプロレス情報などは月刊のプロレス専門誌に頼らざるを得ず、しかしその分培われる豊饒な想像力というものもあるわけだ。

nice!(24)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 24

コメント 1

いっぷく

もう私が見るようになった頃のシークは50歳ぐらいだったと思うのですが、やはりいつ火が出るのかという恐怖がありました。
ザ・マミイとか、ザ・コンビクトとか、プロモーターの思惑通りに私は怖がりました。覆面も、今の派手なデザインより、むしろ昔の白や黒一色に目鼻口だけあいている方が恐怖感がありましたね。ですからレスラーとしての格は下でも、アサシンズとかメディコなども少し緊張しました。

シンは私もデパートで猪木を襲ったアレで初めて知ったのですが、日本では無名だったので、シークとの試合はいい宣伝になりましたね。
日米間だけでなく、アメリカ内でも、他のテリトリーの情報がはいることがほとんどなかった60~80年代ぐらいまでは情報過疎だったと思います。
それに加えて、テりトリーによって、レスラーの役割とか序列が微妙に違うことも、「混乱」や「違和感」に拍車をかけましたね。
たとえば、小鹿がマスカラスをロスから追放したとか、テリー・ファンクがミスター・ポーゴに負けるとか、ブッチャーがカマタに劣勢であるかのような写真とか、日本のリングではたぶんないだろう情報には、80年代になってもやはり戸惑いはありました。

子供の頃は、日外対決だったので、ブラジルやデストロイヤーやブラッシーやペドロ・モラレスなど外国人レスラー同士が、タイトルを巡ってたたかっていること自体が衝撃でした。考えてみれば、アメリカはアメリカ人が大半なのでそれが当たり前なのですが。
猪木がロスでジョン・トロスを破ってUNを取りましたが、その年の暮れのロスでは、馬場がジョン・トロスと組んで、マサ斉藤・キンジ渋谷と金網で試合をして馬場組が勝ったことがあります。
馬場がガイジンと組んで日本人コンビと戦い、そしておそらくはトロスが悪玉だったので馬場組は悪玉だったはずなのに馬場組が勝ってしまう(つまりロスでは馬場のネームバリューはその時点でも健在だった)、しかもラッシャー木村でもないのに金網の試合という三重にすごいことが写真1枚のベタ記事でした。まあその頃の日本は猪木追放で揺れていたので、海外の試合情報どころではなかったのかもしれませんが。

by いっぷく (2017-07-19 07:25) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0