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●映画『エルネスト』の予告を観ながら、(チェ・ゲバラは必ずしもヒーローではない)と思うより前に、『ニッポン無責任野郎』を初鑑賞。 [「言葉」による革命]

●映画『エルネスト』の予告を観ながら、(チェ・ゲバラは必ずしもヒーローではない)と思うより前に、『ニッポン無責任野郎』を初鑑賞。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

日本の国会議員たちから表立って文化・芸術に関する意見やコメントを耳にすることはほとんどないが、このような状態も日本の政治家がスカスカに見える一因である。
もちろん中には文化・芸術に精通している国会議員もいるのだろうが、発信しなければ役に立っているとは言えない。
もちろん、「クールジャパン」などという実態不明の浅薄なキーワードの尻馬に乗る程度ではお里が知れるというわけだ。
さて、映画『ダンケルク』は、「凄まじい映像体験」という意味では、『ゼロ・グラビティ』以来と言っていいのだが、最早恒例となった、本編上映前の日本映画の予告編炸裂の拷問的時間には辟易させられた。
だから『ダンケルク』を観に来るような観客は、スカスカの中高生向けラブコメなんか見に来ないつうのに!
まあ、阪本順治監督の『エルネスト』の予告なんかもあったけれど。
阪本順治監督は、『北のカナリアたち』や『人類資金』はいただけなかったけれど、『団地』はおもしろかった。
しかし『エルネスト』はまだ未見だから分からないけれど、わたしはチェ・ゲバラをあまりヒロイックに描いている作品は好まない。
わたしはかつてキューバ革命の歴史にハマったことがあり、キューバ革命史やカストロ、ゲバラの評伝なども多く読んだ。
歴史的人物としてのチェ・ゲバラに大きな魅力があるのは疑いないが、同時に頑迷なコミュニストであったことも事実であり、「負の側面」あるいは「ダークサイド」と言い換えることもできるが、そこまで描かねば作品としては不十分だと思う。

などと言いながら、最近ようやく『ニッポン無責任野郎』を鑑賞した。
昭和の日本映画が大好きなわたしにとっても、軽喜劇映画はまだほとんど観ておらず、植木等がいかに大スターだったかは知っていても、多くの日本人が楽しんだその主演映画を鑑賞するには至ってなかった。
そしてこの度の『ニッポン無責任野郎』・・・とてもいい時間が過ごせる映画だった。
もちろん植木等の大スターぶりに負うところ大の作風だけれど、観どころは他にも画面の隅々にまで存在する。
何よりも、「いやらしさ」がない喜劇映画であるところがいい。
ここで言う「いやらしさ」とは、「エロな」という意味ではなく、「人品の低劣さ」のことである。
そう、わたしは現在の多くの日本映画やお笑い芸人らに、「いやらしさ」つまり「人品の低劣さ」を感じているのだ。
その点、『ニッポン無責任野郎』は真っ当である。
社会性も十分あり、時代の風俗、情景が存分に切り取られているのも嬉しいし、画面に陰翳があるのも映画らしい。
それぞれのギャグも説明的でないところがまたいい。
老若男女に理解可能な作風だけれど、突き放すところは突き放している。
そして鑑賞しながら感じたのは、フランス喜劇映画、例えば、ルイ・ド・フュネスのサントロペシリーズなどとの共通点である。

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いっぷく

「ニッポン無責任野郎」は、30本ある植木等・クレージー映画の中で、マニアには最高傑作と言われてますね。
ただ私は、1作目の「ニッポン無責任時代」の方がよかったと思っています。
第一作目の『ニッポン無責任時代』は、無責任=ちゃらんぽらんではなく、既存の価値観からの「自由」という意味がよく伝わってきたのと、決してC調オンリーではなく、騙されたり裏切られたりもしているのに、それでも全くめげず、大きなホラやデマカセで自らの退路を断って成果を得る、というストーリーでした。
ところが、『ニッポン無責任野郎』は、冒頭シーンから続けざまに、電車をタダ乗りしたりたばこをちょろまかしたりなど、ならず者に脱線しているエピソードが入っているので、少しキャラクターにデフォルメつけすぎたなあという印象でした。
たとえば自由が丘の駅で下車したシーンは、改札を無断で抜けるのではなく、駅員も認めるフリーパスにしておけばいいのにと思いました。そうすることで、ではこの男のどこにそんな魅力があるのか、という見るものの関心につながっていくからです。
その後、源等はいきなり病気ということで入院している現社長・宮前(由利徹)を訪ね、様子を探った上で見舞いの果物カゴをもらってきます。それを今度は幕田常務(人見明)のところに「社長就任おめでとうございます」とデマカセをいいながら持って行き、また様子を探る。そういうところは、「無責任」どころか、リサーチを自ら行う「できる男」ですよね。
源等のモットーである「楽して儲けるスタイル」というのは、実は「必要十分に動く」ということだったということがそこでわかるわけです。セコイちょろまかしなどなくても、こういうキャラクターを存分に見せてくれればいいのになと思いました。
私はクレージーシリーズは、古澤憲吾監督よりは坪島孝監督の方が好みでしたね。
でもクレージーシリーズは、東宝の屋台骨を支えたドル箱シリーズでしたから、どの作品も見どころはたくさんあると思います。
by いっぷく (2017-09-20 01:53) 

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