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●「三菱マテ子」か「アントンマテ茶」か?あるいはプロレス通販ハーリー・レイスTシャツと学生プロレスからのDM。 [「言葉」による革命]

●「三菱マテ子」か「アントンマテ茶」か?あるいはプロレス通販ハーリー・レイスTシャツと学生プロレスからのDM。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「三菱マテ子」は「三菱マテリアル子会社」なのだけれど、(何かに似てるな、「三菱マテ子」)と思っていたら、そう、「アントンマテ茶」である。
現在マテ茶はペットボトルなどでも販売しているけれど、わたしが「マテ茶」という言葉、その存在を知ったのは、アントニオ猪木による「アントンマテ茶」が初めてである。
とは言えわたしはこの、ビジネスとしては失敗したとされる「アントンマテ茶」を味わったことがないし、「猪木がやっているから」といって、特段(飲みたい)と思ったこともない。
かつてのプロレス誌には通販で買えるプロレスアイテムのページがあって、全日本プロレス系のレスラーたちのイラストがプリントされたTシャツはわたしの憧れアイテムでもあった。
中でもハーリー・レイスのイラストTシャツはクールでカッコよく見えて、欲しかったのだけど蛙、いや買わず仕舞いだった。
なぜ買わなかったのか?
まあ小学生のわたしには高価だったのだろうし、それでも近所の服やなどで売っておれば、親にねだって購入した可能性も高いけれど、「通販」は案外ハードルが高かったのですな。
そう言えば、プロレス誌にはファン交流コーナー的ページがあって、詳しい内容についての記憶は定かではないが、一度わたしは「譲ってください」的な投稿をしたのだと思う。
ただ、「譲ってください」だったかどうかも正直なところ記憶は曖昧で、少なくともそのようなページに自宅の住所が掲載されたことがある。
そして間違いなく、「わたしの希望したこと」は起こらなかったのだけれど、ある日、わたし宛に見慣れぬ住所から封書が届けられた。
開けてみると、「大学のプロレス同好会」的なグループの資料が入っていて、多分東京からの手紙だったと思うが、「プロレス同好会」と言っても「研究会」的なものではなく、いわゆる「学生プロレス」のグループだった。
手作りの印刷物には白黒写真も載っていて、細身のいかにも大学生的体形の男たちがリング上でフライング・ボディ・アタックなどを繰り出している様子が写っていた。
高知の小学生に(年齢は掲載されてなかったかもしれないが)東京の学生プロレスが何の目的でDMを出したのか不可解だったが、当時プロレスを「男のロマンそのもの」だと見做していたわたしにとっては、「学生がプロレス」なんていうのは許し難いもので、(ふんっ!)と一笑に伏したことは間違いない。
とは言え、ロープを張ったリングで試合できるという環境に(ち、恵まれてやがら)とも感じたことも付記しておくべきだろう。

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いっぷく

>かつてのプロレス誌には通販で買えるプロレスアイテムのページがあって、全日本プロレス系のレスラーたちのイラストがプリントされたTシャツはわたしの憧れアイテムでもあった。

ありましたね。所属選手全員の顔のイラストが入っているものが私は気になっていて、肥後宗典のように、ついに試合がテレビ中継されることなく消えたレスラーまで入っているのは貴重であると思ったし、リング上では全日本に入れてもらえないことになっていた鶴見五郎が、なぜか入っているのが不思議でした。
正式な契約選手でないのなら、シャツにプリントされる肖像権はどうなるの、イラストならいいのか、なんて細かいこと考えていました。
後でわかったことは、全日本に入らないのは鶴見の希望で、外人扱いで報酬は週ドルでもらったほうが多くもらえるという理由で、その頃は国際時代ずっと格上だったマイティ井上よりもらっていたのではないかと思います。もっとも所属選手ではないので、社会保険や年金はなかったらしいですけど。
でも私も買わなかったですね。やはり高かったからです。Tシャツは、生地自体は安物なのに、ただ選手の似顔絵がプリントされるだけで値段が上がるなんてと思っていたし、どうせ着ていくうちにだんだんプリントは薄くなっていくのだろうし、なんて現実的なことはわかっていたので、見送りました。

私は、どんな媒体でも「売ります買います」には応募したことはなかったと思います。やはり裕福でなくてお小遣いもろくにもらってなかったから、人と売買できる物も金もなかったからです。
それと、物は集め始めるとキリがないからあまり必死になれなかったですね。切手とかテレフォンカードとか、集めても集めても上には上がいますし。
それでも、鉄道模型のNゲージや、「こち亀」の1巻から買い集めるなどはしていたのですが、火災で全部燃やしてからはいよいよ虚しくなって収集欲がない、というより否定するようになりました。本も購入コストもさることながら、保管スペースを設けることに消極的となり図書館から借りることが多くなりました。←本も全焼してしまったもので。
でもやはり生活していると結果的に集まってしまうものはあり、最近集まったのは、クレージーキャッツの映画のDVDブックスと、山口組の漫画ぐらいですね。美空ひばりや力道山と三代目の関係とか、○○抗争など、戦後史に関わる出来事が描かれていて興味深いので、別にピカレスクファンではないのですが、資料的価値はあるかなと思っています。

文通コーナーにはよく応募したのですが、載ることはありませんでした。そこでもっぱら、載っている住所に出していました。
それで、年上の女の人と知りあいました。どうも信用金庫をやめて水商売に行ったみたいなんですが、プロレスを見に行く友達は別にいたみたいで、私の写真送ったら、普通に男女の付き合いをしたかったようで、でも当時は私も若くて、堅気の仕事をやめて水商売(もしかしたら風俗)に行き、しかもそれをはっきり言わないことで、素性の知れない人という印象で、あまり誠実にはおつきあいせず、自然消滅しました。
プロレスラーは馬場の大ファンで、私よりも当時の馬場についてはずっと詳しくて、馬場ならなんでも許せて、SWSに走った天龍に怒ってました。当時から、プ女子はいたみたいですね。
私は、60~70年代のレスラーとしての馬場を憧憬とはしましたが、すでにその頃は是々非々で見ていたので、向こうからすると、妙に分別くさくて、プロレス友達としてはノレない奴に感じたのかもしれません。

プロレスのファン同士で結婚などする人も当時からいたようですが。共通の話題があっていいんでしょうけど、話題がそれだけというのもちょっとなあと思うので、まあいずれにしても自然消滅でよかったんでしょうね。
by いっぷく (2017-11-29 01:29) 

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