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●谷川とむ議員の同性愛「趣味」発言の真意と効果のプチ分析。~市川崑『獄門島』、可憐でさえある大原麗子と、逆さ吊りの女の映像。 [「言葉」による革命]

●谷川とむ議員の同性愛「趣味」発言の真意と効果のプチ分析。~市川崑『獄門島』、可憐でさえある大原麗子と、逆さ吊りの女の映像。

末尾ルコ「映画と社会観察の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

自民党の谷川とむ衆院議員が同性愛などについて、「趣味みたいなもの」と発言したというが、彼のプロフィールを見てみると、「宗教家」であり「元俳優」であるとも出ている。
それはさて置き、自民党 杉田水脈の「生産性が無い」発言が物議を醸す中、敢えてかどうか知らないけれど、同性愛などに関して「趣味」という言葉を使う言語感覚とその「効果」について少し考えてみよう。

まず第一に、「同性愛」の人たちについて、「異性愛(ストレート)の人たちと変わらぬ愛情の形であるとの認識があれば、そうそう「趣味」という言葉は出てこないだろう。
少なくとも谷川とむは同性愛の人たちを、異性愛の人たちと比べて、「まともじゃない」と見做しているのは間違いない。
こうした報道は、「文脈を読まずに、一部を取り上げて言葉狩りをしている」場合も確かにあるのだが、このケースは、「趣味」という言葉を使った時点で谷川とむが同性愛をある程度以上は「見下している」あるいは「異常な人たち」だと見做しているのはまず間違いない。
一つの単語に、その人の真意が表れる一つのケースだと思う。
ただ、日本人の少なからぬ人たちが同性愛者を「見下している」、そして「異常な人たち」だと見做していることも事実だ。
谷川とむの「趣味」という言葉は、「彼らの想定するサイレント・マジョリティ」の中での支持率アップのために炎上承知で敢えて使ったのか、それとも無頓着に使ってしまい、炎上しているので驚いているのか、あるいは無頓着に使って炎上し、意外にも知名度がダイアップして喜んでいるのか。

こうした問題を一つの文章で語り尽くすことはできないが、少なくとも今の日本は不気味な排他性が「当然」の顔をして津々浦々にまで浸食していきつつある点は指摘しておこう。
ただこうした状況を醸成した最大原因の一つが、「思考停止の左」であることも明らかだが。

市川崑の『獄門島』を観た。
いつ以来だろう、それにしてもとんでもなくおもしろい。
そもそもキャストが素晴らしい。

石坂浩二、佐分利信、東野英治郎、大原麗子、浅野ゆう子、中村七枝子、一ノ瀬康子、草笛光子、司葉子、荻野目洋子、荻野目慶子、大滝秀治、太地喜和子、ピーター、加藤武、上條恒彦、松村達雄、三木のり平、坂口良子・・・他にもいろいろ出演しているけれど、これまた「画面の隅々までいい役者で満たされている」状態であり、この快楽は平成の邦画ではなかなか味わえないものなのだ。

今回の鑑賞で目を惹いたのは何と言っても、大原麗子の美貌。
かつて大原麗子の人気が全盛期だった頃、わたしの感覚がまだ子どもだったからかもしれないが、そのイメージは「ゴージャス系の大人の女」であり、ちょっと「別の世界の人」という感じだった。
しかし今回『獄門島』の中にいる大原麗子は、確かにゴージャスな美貌ではあるけれど、同時に可憐でもあり、ちょっとこうずっと観ていたくなるような。
まあ、「ゴージャス」という言葉の解釈も、今のわたしはずいぶん変わっているのだけれど。

それにしても市川崑のショック演出は上手い。
最初の犠牲者として逆さ吊りの女が現れるシーン。
そのライティングと着物、周囲の暗闇とのコントラストが見事である。


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いっぷく

生産性云々といったら、何より子どものいない安倍夫妻もそうなの、というブーメラン話だと思うのですが。安倍総理のルーツの、岸・佐藤の一族は養子縁組で家系を守っていますが、同性婚でも身寄りのないお子さんを引き取って育てる例はありますし、逆にちゃんと育てない無責任な夫婦もいますし、事実婚でも子どものいる人はいます。
実は私も、思うところあって事実婚の時代がありました。ですから事実婚がいかに社会的に不利かも経験しました。その立場からすると、観念的な差別意識だけでなく、要するに戸籍制度を厳守するという考えを前提としたマイノリティ圧迫という面があるのだろうなとおもいます。

大原麗子、今日命日ですね。獄門島みました。封切館ではなかったのですが、封切りの2ヶ月後に「気まぐれ本格派」が始まって、そこで友里千賀子の友達役で出ていた一ノ瀬康子見たさに。大原麗子は、その前年にすでにギラン・バレーが出ていて、期間の長いドラマの仕事を請けなくなっていたので、大丈夫かなと思いましたががんばってましたね。
できれば音楽はシリーズをずっと大野雄二で統一してもよかったかなと当時思いましたが、そうすると、犬神家の一族が一番ということになってしまうので、新作ごとに新しい人が担当する方がよかったのでしょう。

>わたしの場合、両親とも少々毒親的なところはありました。しかしそれはもう、今は自分なりに水に流しております。

もうここがすばらしいの一語に尽きます。「人生いろいろあるね。これも辛いよ、あれも嫌だよ。でもまあ生きていくってそういうことだよね。だから面白いよね」という、クレージーの「悟った笑い」に通じるものがありますね。
私の場合、母親については、昨秋からの入院で、医師も「お迎え」と言っていたのを「生還」させましたが、それは生還したというより、本来はまだそれだけ生きる力があったのに私の目の行き届かせ方が足りなかったためにそこまで追い込んでしまったという反省があり、今はその埋め合わせをしている最中です。
父親については、「負の遺産」(祭祀承継の法的責任が本来はない先祖の墓とか)など、面倒な「ほしのもと」の原因を作ったことに今も悩まされている現実があり、複雑な思いは正直今もあります。
ただ私の場合、親類に対しても腹蔵あるため、怨みの最終的な行き先は両親というより、その実家というか両親双方の一族にあるので、大きく根深いのかもしれません。

>親の世界観から大きく逸脱する世界観を持ったことは

それはやはり、親子がそれぞれ人格的に独立していたということではないでしょうか。私はその逸脱ができないことで幸せとは思えない人生になってしまいました。
マッスル北村の父親だったら、「親の世界観から大きく逸脱する世界観を持った」時点で何が起こっていたかわかりません。

>ニコリ・ボルコフ

あまりタイトル戦線に絡んできた記憶はないのですが、私はこの人の体に興味がありました。胸板も厚いし、足も腕も太いし、こういう人がトップに立てず、むしろやられ役なのはやはりプロレスなんだなあなどと思ったものです。
by いっぷく (2018-08-03 03:59) 

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