SSブログ

●剣道の「掛け声」への疑問と、「真剣勝負」というものに対する幻想~『義母と娘のブルース』上白石萌歌と東宝シンデレラと沢口靖子幻想(笑)。 [「言葉」による革命]

●剣道の「掛け声」への疑問と、「真剣勝負」というものに対する幻想~『義母と娘のブルース』上白石萌歌と東宝シンデレラと沢口靖子幻想(笑)。

末尾ルコ「映画や剣道の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

剣道って、よく分からないのだけれど、わたしは剣豪には強い興味があるし、時代劇も大好きである。
剣道についてよくわからないのだから同行は言えないのだけれど、ちょっとどうこう言わせてもらえば、剣道ってうるさいですよね、あの掛け声って言うんですか?
あれは必須なんでしょうか?
いや、きっとあのでかい掛け声を全く出さない流派や指導もあるのでしょうが(←根拠なしの想像)、基本あの声があるですよね。

漫画『バガボンド』は根底にスポ根が流れていて、(真剣勝負はスポーツじゃないだろ)という観点からの不満はあるけれど、まあなかなか素晴らしいシーンも幾多ある。
武蔵と吉岡清十郎との決戦や鐘巻自斎と不動幽月斎の激突などはものの見事な名シーンであり、「画」のある漫画ならではで、小説では達し得ない境地だと思う。
もちろん「文章だけ」の場合でしか達し得ない境地もあるわけだが。

これらシーンとまでは個人的には評価していないが(感情過多である点が)、武蔵と吉岡伝七郎の対決も見ものであって、その中で(敵わない)と悟った伝七郎が、声だけはやたらとでかく出し、武蔵が(なぜそんな無意味な声を出す)と感じるのである。

現在わたしたちは当然のことながら「真剣勝負」を見ることはできない。
しかし、竹刀を使ってでもいいから、真剣勝負的な剣道が主流にはならないものだろうか・・と夢想することはある。

綾瀬はるか主演ドラマ『義母と娘のブルース』がなかなかよくて、そのよさの第一はもちろん綾瀬はるか、そして好調な佐藤健の演技だけれど、娘役の「上白石萌歌」も実に秀逸な存在感を見せてくれている。
「上白石萌歌」という文字を見て、どう読むかすぐには分からなかったが、「かみしらいし もか」と読むのですな。
鹿児島出身だというが、確かに鹿児島的な苗字ではある。
そして上白石萌歌は第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』でグランプリを受賞しており、姉の「上白石萌音(もね)」は審査員特別賞を受賞している。
姉は周防正行監督の『舞妓はレディ』に主演しており、この姉妹は「似ているけれど、ずいぶん違う」というタイプだ。
顔立ちは似ているのである、が、身長は姉が「152cm」、妹が「162cm」とされており、顔立ちも似てはいるけれど、姉がよりもっさりした感じだ。

この『東宝「シンデレラ」オーディション』なのだけれど、歴代受賞者を見てみると、名実ともに大成しているのは長澤まさみくらいかなという気はする。
沢口靖子はしっかり生き残ってはいるけれど、『竹取物語』のような大作に「あの演技で出ちゃってしまって・・・」という負のインパクトはいまだ大きい。


nice!(29)  コメント(2) 
共通テーマ:アート

nice! 29

コメント 2

hana2018

「義母と娘のブルース」今回が最終回でした。
仰る通りに、綾瀬はるか、佐藤健、娘役の上白石萌歌・・・と、それぞれハマり役であったと思います。
しかし朝から真っ白な長襦袢姿で水垢離するシーンには、そこまでするか?と驚かされましたが。元は漫画からと言うので、なんでもありかなのねと・・・。
沢口靖子は科捜研の女シリーズでしたっけ?あれが終わってしまったらどうするつもりなんでしょう。イメージが付き過ぎている、顔の劣化も激しいですし。また訳のわからないコマーシャルに出る気かしら?
剣道を描いた映画に、市川雷蔵の「剣」がありましたね。
RUKOさんは勿論、ご覧になっているのではありませんか?


by hana2018 (2018-09-19 00:49) 

いっぷく

剣道の声出しですか。そうですね。私も剣道はわかりませんが、『おれは男だ!』で、森田健作と丹下竜子(小川ひろみ)が試合をしているとき、剣道の試合なのか、声出しの競い合いなのかわからないほど声を出し合ってました。設定では、丹下竜子が森田健作を好きなことになっていたので、オットセイじゃないですが求愛の叫びのように聞こえてきて、見ていた当時思春期だけにちょっと前のほうが熱くなってしまったことがあります(笑)「今度の試合は負けないわよ」と言いながらニコニコ笑って恋人同士のような2人の会話は、ドラマとは言え羨ましいと思ったものです。思春期にあのドラマを見た人はみんなハマるんでしょうね。

>ドリームガールズ

差別と市場と人間(の弱さ)の現実をそれぞれ率直に描いていたので、その点はよかったと私は思います。ただ、公開時点で原作を知っていたので、手頃な結末に仕上げているなという気はしました。
原作を変えるからには当然製作者の意図があるわけですが、それが何かが気になります。
たとえば『神戸国際ギャング』は、主人公の高倉健と菅原文太が相打ちで終わっていますが、モデルになった人はそれでよかったのだろうかと案じました。高倉健が東映を離れたのは、女性に袋をかぶせたセックスシーンを監督が強行したからだと言われていますが、私は少し違う見立てをしていて、当時配下に1000人いるといわれる本家に絶縁されても稼業を続けた大親分なのに、東映が菅原文太に気を使うあまり相打ちの結末にしたことで、高倉健は自分のポジションが菅原文太に取って代わられつつあると思ったのではないかと考えました。
話を戻すと、ジェニファー・ハドソンの歌唱力も素晴らしいと思いますが、どこかのレビューで、そうでもないというようなことを書いている人もいて、作品に対する評価は様々ですね。それだけ注目された作品だったんでしょうね。……それはそれとして、

>ポリコレ棒

これはここ最近私が身近なところで経験していることがあります。障碍者の表記です。「障がい者」と書かず「障害者」と書いたら差別であると、長々とお説教のコメントを入れた人がいるのです。
現実に「発達障害」とか「高次脳機能障害」とか、「障害」を使った言葉が医学的にもジャーナリズムでも定着し、その専門医なども「障害」と使っているわけです。その言葉をどういう意図で使うのかも見ずに、「これは差別だ」「これはそうではない」と、主観で一律に決めつけて他人の書き込みに抗議や説教をするのは、まさに「PC警察」ですね。
by いっぷく (2018-09-19 04:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。