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●市川崑、岸恵子『かあちゃん』を観て、『犬神家の一族』ムーヴメントと『劇場版 コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』大ヒットを比較したり、しなかったり、したり。 [「言葉」による革命]

●市川崑、岸恵子『かあちゃん』を観て、『犬神家の一族』ムーヴメントと『劇場版 コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』大ヒットを比較したり、しなかったり、したり。

末尾ルコ「映画と昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

概ね子どもの頃に横溝正史ブームというものがあって、その中心に市川崑監督の『犬神家の一族』があって、湖の中から二本の脚が生えているとか目だけが異様に際立つ「スケキヨマスク」だとかのヴィジュアルのインパクトはこの上なく大きく、加えて大野雄二の主題曲「愛のバラード」が全国津々浦々に。
その浸透力、影響力たるや、例えば今年は『劇場版 コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-』が興収90億円を超え、その時点で実写邦画歴代6位に食い込んだというけれど、まったくムーヴメントという感じはないでしょう。
昨今の「大ヒット」は、数字的にいかに大きくても、「局地的」という感がある。
それは映画だけでなく、どんな分野もほぼ同じであって、分かりやすい(?)例を挙げれば、現在の新日本プロレスがドーム興行を何度打とうが、それがムーヴメントとは感じない。
あくまで局地的な人気なのですな。
ま、こうした傾向については多くの人に取り沙汰されてはいるが、ここで言いたいのは、例えば1976年に映画『犬神家の一族』で日本全土に生じたムーヴメント、影響力を、昨今のヒット作と安易に比べてはならないということ。

そうか、『犬神家の一族』は1976年だったのか。
「アリVS猪木」のあった年ですな。
やはり1976年はいろいろとスケールがでかい。

などという話題を持ち出したのは、最近市川崑監督の映画『かあちゃん』を観たからで、これ未鑑賞だったのですな。
『かあちゃん』は岸恵子主演、山本周五郎原作で、江戸時代、水野忠邦の時世にその精神力と実行力で多くの子どもたちを育て支え続ける「かあちゃん」の話だ。
岸恵子はこの作品の演技によって、第25回山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化財団特別賞、第14回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞、第25回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞を獲得している。
そうした賛辞も当然と思われる岸恵子の見事な風格を堪能できる作品だ。
ストーリーや人物設定はいささか単純化・理想化され過ぎているきらいはあるが、一種の「神話的エピソード」を表現した作品と捉えれば、心地よく観ていられる。
何よりも市川崑得意の陰翳が素晴らしく、宇崎竜童の音楽と見事にマッチしているし、「町の噂をする4人組」を横並びにして語らせ前衛感覚も健在の作品だった。

とは言え、市川崑作品、岸恵子出演作品をチェックすると、未鑑賞の映画がズラリである。
特に岸恵子は日本全土にそれこそムーヴメントを呼び起こしたと記録される『君の名は』をわたしはまだ観てないのだな。
あと1万年くらい、生きられないかな。

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いっぷく

『君の名は』は見ましたが、『かあちゃん』は私も未見です。未見作品だらけですが、私は納得行くまで何度でも見るので、それは当たり前だとおもっています。学者だって自分が書いた論文の世界しか知らなくて、物理学者と言っても物理学を全部知っているわけではないですから。
ツタヤディスカスに加入して2014年ごろ、300本ぐらい見まくりましたが、結局やめたのは、時間がなかったことです。新しいのを見るには、古いものを返さなければなりませんが、じっくり見ていると1週間とか10日とかすぐたってしまうので、そうすると定額料金が利用したものに比べて高くついてしまうのです。
岸恵子は、鶴田浩二と付き合ってすぐに力道山にうつって、おみやげの始末に豊登が付き添って、付き添った駄賃を例によって博打に使って、という話を力道山物語のような本で読んだので、岸恵子が出てきただけでそれが思い出されてしまい困ってしまいます。

>局地的

地方巡業の仕上げで大会場の興行をしたり、全国の映画館でコツコツ数字を作ったりした昭和時代と構造が違うので、いろいろなものが「局地的」になってますよね。たとえば地上波テレビ自体がBS、CSと棲み分けでネットもできたのでもう局地的ですから。

ジャニー喜多川については、経緯や手法はどうあれ、社長として会社を大きくしたことはきちんと認めるべきだとおもっています。私がジャニーズ事務所の社長でも、そりゃ、自分のところのタレントが一人でも多く番組に出たほうがいいですから。それに反することをしたら逆に背任になっちゃいます。もちろん不法行為があってはならないし、ホモセクハラも認めませんが。
それと、ジャニーズ事務所の功績は、会社の体質こそ前近代的な個人商店ですが、企業舎弟的なことをやってこなかったことです。これは大変だったと思いますよ。ジャニーズ事務所と、他の大手との決定的な違いはそこですが、それこそ誰も触れません。そういうところも見た上で是々非々で論評すべきだとおもいます。

私はジャニーズタレントがあふれていることについて、ジャニーズ事務所を責めるよりも、そうしてしまったメディアの問題があるとおもいます。
芸能界は新陳代謝がはやいようにいわれますが、むしろ昭和よりも遅くなっているとおもいます。以前書いたように、クレージー映画の作られた期間よりも、バナナマンが番組を持つ期間の方がずっと長いというのはやはりおかしいとおもいます。大橋巨泉も萩本欽一も、自分で番組を降りちゃいましたが(前田武彦だけは干されてしまいましたが)、ビートたけしは降りない。私は新陳代謝を悪くしている一因ではあるとおもいます。降ろさないのは、ビートたけしでいいよという視聴者の保守性もあるのでしょう。ビートたけしがどう劣化しようがその情報は自分の頭に上書きしない、なんて幼稚なことを言っている国民ではだめでしょう。
by いっぷく (2018-10-23 05:22) 

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