SSブログ

●やはり禁断の兄妹愛の物語か~あまりに麗しい寅次郎とさくらの愛のシーン『男はつらいよ 純情編』 [「言葉」による革命]

●やはり禁断の兄妹愛の物語か~あまりに麗しい寅次郎とさくらの愛のシーン『男はつらいよ 純情編』

末尾ルコ「映画の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

それにしても『男はつらいよ 純情篇』。
結局は、車寅次郎(渥美清)と妹さくら(倍賞千恵子)の、禁断の愛の物語以外の何物でもなかったのではないか。
確かに日本映画史上屈指の大女優若尾文子がマドンナである。
そして寅次郎は当然ながら、若尾文子に恋をする。
全盛期を過ぎているとは言え、若尾文子はやはり特別な美しさである。
しかし、寅次郎とさくらのシーンは、あまりに他のシーンと異なっている。
山田洋次監督の『男はつらいよ』だ。
当然ながら、すべてのシーンは入念に作り込まれている。
その前提で観ても、寅次郎とさくらが二人でいるシーンは撮り方も演技も、すべてが恋愛シーンのパターンとなっている。
例えば寅次郎の部屋に下宿している若尾文子が風呂を使う。
風呂場は寅次郎とおいちゃん(森川信)が団らんの場で炬燵へ足を入れている。
風呂場はそこから目に見える場所にある。
しかも脱衣室はガラス戸である。
もちろん若尾文子の脱衣シーンがあからさまに見えるわけではないが、こうしたシンプルにしてニクいエロティシズムが山田洋次一流のものであるとも言える。
そして、古くからの『男はつらいよ』ファンの間では有名なやり取りらしいが、寅次郎がおいちゃんに、「今、何考えているんだ」と尋ね、おいちゃんは「お前と同じことよ」と答える。
おいちゃんも浴場の若尾文子に対して欲情(笑)していると早とちりした寅次郎は理不尽にも憤慨し、激しい口論を始める。
そのときカメラは、二人の口論をやや遠景に置き、画面の向かって右側に大きくさくらの表情を捉える。
さくらの表情は憂鬱さと怒りが静かに合わさったように見えるが、すぐに「お兄ちゃんはやっぱり帰ってこない方がよかった」と言いながら外へ出ていく。
すぐに追いかける寅次郎。
二人は道々並んで、口論とも痴話げんかとも十分に解釈できる会話を交わしながら歩く。
それは突然現れた美女に心を奪われた(ように見える)寅次郎の言動にさくらが焼きもちをやいている姿にしか見えない。
このシーンも含め、さくらは寅次郎と二人でいる時だけ、本当に生き生きとした表情を見せる。
まるでさくらにとって夫を含め、寅次郎以外の人たちと過ごす時間のすべてが気怠い日常で、寅次郎相手にだけは心が底まで解放される・・・そんな感じなのだ。

『男はつらいよ 純情篇』の目玉は何と言ってもラストシーンだ。
予定通り(?)若尾文子に振られた寅次郎はまた旅立つが、さくらと二人で駅のベンチに座っている。
その時の高級感と緊迫感に溢れた撮り方は、渥美清が高倉健に代わってもおかしくない、つまり「男と女の情愛」を描いているとしか思えない。
そして寅次郎は列車に乗る。
見送るさくら。
寅次郎が何か言うが、ドアが閉まって聴こえない。
列車が走り出す。
さくらは小走りに列車を追う、プラットフォームの端まで走り、寅次郎を送る・

キャサリン・ヘップバーンの『旅情』を例に挙げるまでもなく、「駅のシーン」は幾多の恋愛映画で繰り返されてきた。

nice!(22)  コメント(1) 

nice! 22

コメント 1

いっぷく

なるほど、私はさくらは、寅次郎にとって母親がわりであり、さくらは寅次郎に負い目を感じている関係に見えましたが、まあこれは額面通りの見方で、たしかに2人の共演した作品は以前から、ずっと男女を感じるものがあったかもしれません。
母親のミヤコ蝶々を出演させたのは、寅次郎が母性に恵まれていないということを見せるためであると思いますし、映画でそのシーンはなかったのですが、テレビの第一回では、家族の写真で、寅次郎が懸命におどけている一葉があり、それは自分が妾の子供であり、家族に気に入ってもらおうと懸命に道化に徹している様子を表現しているのだと思いました。
映画はそのシーンこそありませんが、設定は同じですから、さくらとしては、自分だけいいものを買ってもらったり、「家族」という本来何の努力も必要ない当たり前の立場についても寅次郎が努力していることを、申し訳ないと思っていたため、寅次郎には寛容であり、また寅次郎はさくらを心の拠り所としていたのではないいかと思っていました。
まあ、三國連太郎と石田えりのような虚実ないまぜの関係だったかどうかまではわかりませんが。
余談ですが、寅次郎の母親はテレビ版では武智豊子だったのですが、さすがに昔六大学のアイドルだっただけあり、あんな婆さんで、しわがれ声で、意地悪な役なのに、なんかちょっと感じるものがあります(笑)年齢不問になってしまってますね

N高等学校で課外授業を受け持っている森村誠一は、角川春樹に対する恩返しでやっているんでしょうね。ジャイアント馬場が三菱電機に恩義を感じたようなものです。
反戦平和を唱える森村誠一と、独裁に憧れ右翼的な考え方の角川春樹では、合わないんじゃないかなどと第三者としては考えてしまうのですが、麻薬や横領で実刑を食らったときも庇っていましたね。麻薬は尿検査とかしますから冤罪ということはないと思われるのですが、情で動く人なんですね。
『悪魔の飽食』が『赤旗日曜版』で連載されたときは、記者の下里正樹との共同取材でしたが、ちょっと下里が勘違いして共産党を除名されたところ、森村はフンガイして機関紙購読をやめて党にも一切協力しなくなったのです。これも情で動いたんでしょう。しかし、時間がたって、下里もちょっと問題のある人ということがわかってから、党とは和解したようですね。情に溺れて事実と道理でものを見なくなる人は、私はおっかなくて距離をおきたくなるのですが、義理堅い人であることは間違いないようです。
by いっぷく (2018-11-19 04:38) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。