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●日本でも大ヒットに驚き、映画『ボヘミアン・ラプソディー』のクイーンは、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の頃に「終わった」とされていた?~あなたは映画監督の名をどれだけ知っていますか?フランス人の場合は? [「言葉」による革命]

●日本でも大ヒットに驚き、映画『ボヘミアン・ラプソディー』のクイーンは、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の頃に「終わった」とされていた?~あなたは映画監督の名をどれだけ知っていますか?フランス人の場合は?

末尾ルコ「音楽と映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

クイーンを題材とした映画『ボヘミアン・ラプソディー』が世界的、そして何と洋画離れの日本でも大ヒット中と、米英を中心としてフレディ・マーキュリーの評価が近年ぐんぐん上がっているという感触はあったが、映画を作ってもせいぜい一部ロック・ファンやかつてのクイーン・ファンが盛り上がるくらいだろうと思っていたので現状は驚きである。
SNSなどでも『ボヘミアン・ラプソディー』の話題がしょっちゅう上がってきていて、これまた吃驚である。
実はわたしが一番最初にファンになったロックバンドがクイーンであり、クイーンに関して思うところは様々あれど、80年代後半からはほとんど追わなくなっていたので、クイーンやフレディ・マーキュリーを総体として語ることは難しい。
しかし「高知在住者」ならではの洋楽ロック風景というものも確実にあって、そうしたものを含め、クイーン、そして「日本におけるロック」についても折々語っていこう。

で、クイーンの楽曲として最も世間的に膾炙していたのはおそらく、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」ではなかったかと思うけれど、この曲と、これまたメジャー曲「伝説のチャンピオン」を収録したアルバム『世界に捧ぐ(News of the World)』(1977年)が発表された時、一部ロック・ファンと言いますか、ぶっちゃけ『ロッキング・オン』系のロック・ファンの間でなのだけれど、(クイーンは終わった!)と決めつける傾向があったのですね。
実はわたしも(そんな感じかなあ)と思っていたことを告白せねばならない(笑)。
しかし今、正直なところ、(あの時の評価は何だったのか)と強く感じている。
ま、これはクイーンの話だけではなくて、

「ある時点での評価、人気」というものは、

あらゆるジャンルにおいて、常に大きな問題なのですな。

・・・
ところでこの前、フランス人の友人フェノン(仮名)と会話した時尋ねたのが、

「フランスの一般人は、だいたいどのくらいの割合で映画監督の名前を知っているだろうね」ということ。
「一般人」というのはこの場合、「映画ファン以外」を指してます。

日本の場合は映画ファン以外で、映画監督の名前まで意識している人は極めて稀ですよね。
まあメディアでよく取り上げられる監督たちとか、黒澤明とかくらいなら知っている人もかなりいるのだろうけど、もっと厳密に言えば、「映画監督を意識して映画を観ている人」ですよね。
で、フランスは映画誕生の地であり、現在も映画大国、そして大人の俳優が登場する大人の映画が大きな観客動員を記録する国でもあります。
ところがですね、フェノンの答えは、
「いや、フランスの一般人も、ほとんど映画監督について知らないよ」という話。

なるほど、フランスでもか・・・。

しかしだからと言って、今の日本の状況を「当然」と諦めてはならないと心に決めたわたしではある。

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いっぷく

これまた私はさっぱりの世界ですが、なるほどツイートの数がすごいですね。しかも各ツイートにつく「いいね」の数が3桁のものもあります。
それも観た後の幸福感がよくあらわれたツイートですね。『ボヘミアンラプソディー』を観て、という一言に、映画鑑賞の帰りに気持ちよく酔っ払って帰る夜道をスマホで撮ってそのままアップ。シンプルですが、心境がよく表現されていますね。
私はそういうツイートはしたことなく、いつもミニブログのようにギリギリまで文字を入れて、いくつかの関連画像をフォトショップでまとめてアップするという力の入った(笑)作業をしていますが、「いいね」はせいぜい2桁。今まで3桁だったのは、ジャイアント台風でジャイアント馬場が母親をおんぶしたり、電車ののせたりしているコマと、実際に馬場が母親を電車に乗せている写真を並べて、これは実話で泣けてくる、というような解説を140字いっぱいまで書いたときです。

私も実は監督を意識するようになったのは、映画を見るようになってかなりたってからです。
順番としては、ストーリーが面白い⇒個々の役者が気になる⇒制作会社はどこだろう⇒脚本家は誰だろう、そして最後に監督に興味をもつようになりました。
さらに、そのようなこだわりは、映画よりもテレビドラマが先行していました。
たとえば、『パパと呼ばないで』を見ていたら、主役は「石」はついても石原裕次郎でも石坂浩二でもない。子役も見たことのない女の子だ、そこで、役者を気にするようになりました。
すると、三崎千恵子が出ているので、『男はつらいよ』と同じ会社が作っているのかと思い確認。ユニオン映画なる会社をはじめて認識したわけです。
で、そこまで気になると、オープニングから真剣に見るようになりますが、『パパと呼ばないで』の場合、キャストより先にスタッフが出るのですが、脚本が「松木ひろし」となっていて、ひらがなの名前だったので印象に残りまして、それ以来、脚本家の名前も見るようになりました。
監督が最後なのは、ドラマは脚本があって役者が演じれば自然とできるもので、監督は撮影現場のたんなる見張りみたいなもんだろうと思っていたのです。
『パパと呼ばないで』は、日活で撮っていた千野皓司と平山晃生のほぼ2人が監督でしたが、子供にはその違いはわからなかったですね。
歌もそうでした。高校の音楽の先生が「曲が主で詞が従だ」と言っても、どうしてそうなのかはわかりませんでした。詞がなかったら歌にならないとおもったのですが、まあこちらは脚本と監督の関係とはまたニュアンスが違いますが、いずれにしても、「言葉」が第一だということを思っていたんでしょうね。
その「言葉」をいかなる価値観で表現するかを決めるのが監督なんですけどね。私は幼かったのでまだそこまでわからなかったのです。

by いっぷく (2018-11-28 04:49) 

hana2018

映画「ボヘミアン・ラプソディー」は劇場で観たいとコメントしたものの、ロックについて詳しくも、特にファンであるわけでもないのです。
小学校の頃ビートルズの来日公演があり、あれはテレビ放送もあったかと思いますし。また国内でも様々なジャンルのロックグループの誕生、ヒットと共に青春時代をおくった日々。
しかし関心は、音楽よりも音楽と映像の両方が一度に得られる映画の方が強くて。それも日本映画、洋画、そしてまた日本映画、ハリウッド映画から、フランスやイギリスのものへと移り変わってきた訳ながら。。
それでも映画監督の名前と言われたら、一瞬で多くの名を出すのは難しいです。
…先日、B・ベルトリッチが亡くなりましたね。新聞紙上では・・・映画「ラストエンペラー」などで知られるイタリア映画界の巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が26日、ローマの自宅で死去。
ベルトリッチの映画にはもっと優れた作品がいくらでもありじゃないかと感じるのは一部の識者のみ。これは極一般的な見方かと思います。

先週末の一日は、レンタルした溝口健二監督「近松物語」を観ました。
香川京子がとにかく上品で美しくて、姿が良い。世間知らずでお嬢さん育ちといった雰囲気も魅力的。
誤解と成り行きから始まって、二人の運命の歯車が狂っていく様は、彼女の思慮の浅さからなのだけど、それに逆らえない茂兵衛の気持ちも理解できてしまう。
町人あるものの、豪商の妻おさんの髪型、豪奢な着物姿にも、もモノクロとは思えないカメラの妙が見て取れました。
無駄と思えるシーンが感じられない、一息に進んでゆく物語。台詞のひとつひとつから二人の関係が変化していく様、淡々と撮られてはいるが、見事に感じられた一本でした。
65年も前に、あれほどハイレベルな作品が撮れた。しかしそれが大映倒産へもつながっていったのかと言った疑問も残りましたけれど。。



by hana2018 (2018-11-28 13:46) 

TBM

監督に注目して映画を観る人が少ないとは
知りませんでした。
映画をよく観るようになった大学生の頃は
ヌーベルヴァーグの作品を監督別に遡って
観ておりました。
ゴダール、トリフォー、ロメールなどなど。
日本の映画も。
by TBM (2018-11-29 22:13) 

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