●我が母、心臓バイパス手術後闘病記30日目、リハビリに立ち塞がる「腰椎」の壁、再度検査に。~差し入れは『新鮮卵のこんがり焼プリン』~胃腸が弱くひ弱だった幼少期の私を変えた「あれ」とは? [「言葉」による革命]
●我が母、心臓バイパス手術後闘病記30日目、リハビリに立ち塞がる「腰椎」の壁、再度検査に。~差し入れは『新鮮卵のこんがり焼プリン』~胃腸が弱くひ弱だった幼少期の私を変えた「あれ」とは?
末男ルコ「母の話、健康医療の話題」
4月17日(水)手術後30日目
午後12時の面会
ベッドで上半身を起こして昼食を前にしている。
初っ端から食べる気なし。
完食することもあるというが、たしかにムラがある。
わたしに向かい、「あんた、全部食べや」とかとんでもないことを言う。
鼻チューブなし。
やはり腰痛が問題だ。
整形での検査が済んでいるかと思ったが、午後に実施するようだ。
この時間は差し入れとして大きめの『焼きプリン』。
より具体的に語れば、オハヨー乳業株式会社の『新鮮卵のこんがり焼プリン』である。
大き目で比較的あっさりした味だ。
病院の昼食になかなか手を出さないので、プリンを少しずつ食べるように仕向けていたらひときわ活気のある看護士がやってきて、「
食べんと力がつけんきねえ、これだけでも食べてもらおうかねえ」などと言いながら、メインのおかず(牛肉ステーキ何とかと書いていたが、肉はミンチ同様の大きさに刻んでいる)をスポーンで口へ運び、結局その皿は完食となった。
『テルミール ミニ』は完飲。
プリンは多かったこともあり、残りはわたしが食べた。
4月17日(水)手術後30日目
午後7時の面会
鼻チューブなし。
夕食後、落ち着いた雰囲気で横たわっている。
めまいもなし。
気になる腰痛検査について尋ねると、「あんまりようない(よくない)き、また明日検査するとか言いよった」と。
「ようない?」
どういうことだろう。
腰痛で「よくない」状態といっても、あまりに多くのケースが考えられるが。
思案しても埒が明かないので、ナースコールで担当の看護士を呼んでみた。
話を要約すると、「今日の(簡易な)検査では診断がつかないので、翌日MRIなどで詳しく検査してみる」ということだった。
「よくない」状態か否かもまだ分からないのか、「よくない」状態が予想されるからMRIなのか。
いずれにしてもリハビリを進めていくために、腰痛克服は現在さらに大きな壁となってきている。
・・・
ふと思い出したのだが、幼少時胃腸が弱かったわたしはよく胃腸薬のお世話になっていた。
胃腸の弱さはいまだ克服できてないが、幼少時と比べるとずっとましになっているのだろう。
なにせわたしは幼少時、腸炎・腸カタルで入院していたこともあったし、幼少期はけっこうひ弱でしたな。
今でも頑健とは言えないけれど、あることをきっかけに「武器としての身体」は人並み以上になった。
「あること」とはそう、「プロレスファンとなった」エポックメイキングな出来事である。
プロレスファンとなっただけでなく、(プロレスラーになるしかない)と決意したわたしは、日夜トレーニングに励むこととなった。
末男ルコ「母の話、健康医療の話題」
4月17日(水)手術後30日目
午後12時の面会
ベッドで上半身を起こして昼食を前にしている。
初っ端から食べる気なし。
完食することもあるというが、たしかにムラがある。
わたしに向かい、「あんた、全部食べや」とかとんでもないことを言う。
鼻チューブなし。
やはり腰痛が問題だ。
整形での検査が済んでいるかと思ったが、午後に実施するようだ。
この時間は差し入れとして大きめの『焼きプリン』。
より具体的に語れば、オハヨー乳業株式会社の『新鮮卵のこんがり焼プリン』である。
大き目で比較的あっさりした味だ。
病院の昼食になかなか手を出さないので、プリンを少しずつ食べるように仕向けていたらひときわ活気のある看護士がやってきて、「
食べんと力がつけんきねえ、これだけでも食べてもらおうかねえ」などと言いながら、メインのおかず(牛肉ステーキ何とかと書いていたが、肉はミンチ同様の大きさに刻んでいる)をスポーンで口へ運び、結局その皿は完食となった。
『テルミール ミニ』は完飲。
プリンは多かったこともあり、残りはわたしが食べた。
4月17日(水)手術後30日目
午後7時の面会
鼻チューブなし。
夕食後、落ち着いた雰囲気で横たわっている。
めまいもなし。
気になる腰痛検査について尋ねると、「あんまりようない(よくない)き、また明日検査するとか言いよった」と。
「ようない?」
どういうことだろう。
腰痛で「よくない」状態といっても、あまりに多くのケースが考えられるが。
思案しても埒が明かないので、ナースコールで担当の看護士を呼んでみた。
話を要約すると、「今日の(簡易な)検査では診断がつかないので、翌日MRIなどで詳しく検査してみる」ということだった。
「よくない」状態か否かもまだ分からないのか、「よくない」状態が予想されるからMRIなのか。
いずれにしてもリハビリを進めていくために、腰痛克服は現在さらに大きな壁となってきている。
・・・
ふと思い出したのだが、幼少時胃腸が弱かったわたしはよく胃腸薬のお世話になっていた。
胃腸の弱さはいまだ克服できてないが、幼少時と比べるとずっとましになっているのだろう。
なにせわたしは幼少時、腸炎・腸カタルで入院していたこともあったし、幼少期はけっこうひ弱でしたな。
今でも頑健とは言えないけれど、あることをきっかけに「武器としての身体」は人並み以上になった。
「あること」とはそう、「プロレスファンとなった」エポックメイキングな出来事である。
プロレスファンとなっただけでなく、(プロレスラーになるしかない)と決意したわたしは、日夜トレーニングに励むこととなった。
寝てての腰痛にはなりましたが
病気前に ずっと痛かった背中の痛みは
その後 一切出なくなりました 背中の痛みって
どこか悪いところがあると出ると聞いてたので
そういう事だったんですね
お母様は そう言ったことはなかったのですか?
by (。・_・。)2k (2019-04-20 02:23)
>腰痛で「よくない」状態といっても、
高齢者なので腰椎骨折を疑うか、そうでなかったとしても骨の状態を把握しておきたいということがあるんじゃないでしょうか。
ずっと同じ姿勢で寝ているために起こる腰痛は筋肉由来で、それは理学療法士などの領域ですが、医療としてはなにはともあれ骨を診たいのかなという気がします。もし筋肉由来なら、理学療法士がストレッチをやってくれるかもしれません。
私の子どもがICUに入院していた時も、理学療法士が来てストレッチをやっていました。長男の方は寝たきり無反応の上に、尖足状態のため足を曲げるなどのストレッチが一切できず、「あー、やる気なし」と理学療法士はなげいていました。でも植物人間状態で何をいわれても反応しないんだから、そりゃ無理でしょう、という言葉が喉まででかかってましたが、そこで言い争うような元気は当時の私にはなく、「やっぱり駄目か」とがっかりしていました。
>姉は人に甘えることが苦手でしたが
たぶん、清水由貴子は子供の頃母子家庭で苦労して、甘えたくても世の中厳しいから誰も助けてくれなくて、何でも自分でやるしかないというのが習い性になってしまったのだろうとおもいます。
あとはちょっと無器用で、チャンスが有っても上手に甘えられなかったのかもしれません。
境遇も歳も近いので、ちらっと妄想もしましたが(笑)彼女の母の介護で意見が分かれていたかもしれません。
そういえばこの件とは全く関係ないのですが、倍賞美津子がアントニオ猪木と別れるきっかけになったのが、両親を介護しようと貯めていたお金を、猪木がくすねたことらしいのですが、その次の萩原健一との別れの原因も、倍賞美津子の両親の介護について意見が分かれたからといわれています。でも倍賞美津子は末娘で、上に兄も姉のいたのにどうしてなのかなと思うのですが、倍賞美津子は情が深くて苦労するタイプなのかもしれませんね。
by いっぷく (2019-04-20 04:19)
原因が分からないのは困りますね^^;
by ぽちの輔 (2019-04-20 06:44)
MRIで腰痛の原因が判明して
ちょっと筋を痛めただけとかですぐに治りますように(_ _)
お母様、看護士さんの勢いに負けたのか
メインは完食されたんですね(⌒-⌒; )
理由は何でもとりあえず食べてくれれば
体力の回復も早いですもんねぇ( ^ω^ )
by ニッキー (2019-04-20 19:16)
内臓の調子が良くない時も腰痛は起きるから
検査結果待ちですね。
RUKOさんのプロレスのお話 起源はあこがれからなのね
by ゆうみ (2019-04-20 21:44)