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●末尾ルコ かつて語った「映画のエロス」 [「言葉」による革命]

『飢餓海峡』での左幸子の官能的なシーンのお話を前回したが、「官能」あるいは「エロス」という要素は映画だけでなく、すべての芸術に欠けていてはならないものであって、そこが抜けていたり希薄であったりすると、作品としてはスカスカの印象になってしまう。

間違ってはいけないのが、ベッドシーンや俳優たちの裸体が炸裂しておれば「エロス」というお話ではなくて、例えば映画『羊たちの沈黙』がかくも傑作だったのは、シーンで言えば、クラリス(ジョディ・フォスター)とレクター博士(アンソニー・ホプキンス)の鉄格子越しのやり取り、それらの積み重ねと頂点となる二人の指が一瞬触れ合う場面・・・これらによりラブシーンなど存在しなくても濃厚なエロスとそして表裏である「タナトス」が充満した作品となっているのである。

タグ:アート 映画
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hana2022

レクターがクラリスを名指しで収監先へ呼び出し、会話をするシーンですね。
自身の自由が容易に可能であるのを予想して、確信犯的に彼女との会話を楽しむ。
生真面目で優等生のクラリスより、数段上手となるレクターは、純粋に疑いなく自分の罠にはまっていく様子を楽しんでいるようにも見えました。
周囲の人々の行動パターンを予想しその上をいく、人の心理を知る人間の余裕が、言動から、表情もおおらかさと悠長さに満ちていました。
彼は一般的な男女間の交わりなど必要としない。それは彼にとってのエロスを伴わないものであるのだから。
・・・ところで「タナトス」なる言葉、初めて知りました。
by hana2022 (2022-07-15 22:15) 

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