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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~『64』の号泣CMは「お涙頂戴」を好む日本人のためのもの。2017年3月22日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする」講座~『64』の号泣CMは「お涙頂戴」を好む日本人のためのもの。

『64』という映画があって、ご存知の通り佐藤浩市はじめ一級の俳優たちが出演しており、わたしも出演者のほとんどが好きです。
けれど公開時のテレビスポットCMや劇場でやっていた予告編・・・佐藤浩市はじめ、出演者の多くが号泣しているシーンを畳み掛けるではないか!
もちろん映画宣伝担当の方々のご苦労は分かります。
佐藤浩市も言っていたけれど、「硬派の作品ではなかなか観客動員が難しいご時世である」。
だから『64』の宣伝でも、「こんなに泣けますよ。そんな映画なんですよ」とアピールしているわけだ。
そしてお決まりの、観客(らしき人たち)が「こんなに泣けるなんて!」「人生で一番泣けました」とか、とりわけ『世界から猫が消えたらな』なんかのCMだと、出演者は大泣き、観客(らしき人たち)も大泣きといった映像を見せつけられる。
わたしなんか、画面の前で居た堪れない気分になりますが、あなたはどうですか?

「お涙頂戴」というパターンは日本の伝統芸の一つとも言えるだろうけれど、そうならそうで、せめて様式美のレベルまで磨き上げてくれないとやってられない。
様式美。
つまり高倉健や藤純子の任侠映画のように、「いつも同じ」と分かっているけれど、観たくなる、観るとワクワクするクオリティ。
けれどまったくそこまでには遠いんだな。

例えば中村義洋監督の『予告犯』。
途中、なかなかいいシーンがある。
戸田恵梨香が逃げる生田斗真を(走って)追跡するシーン。
実に観応えがあった。
カメラワークもいいし、途中で追跡する戸田恵梨香がばててくるのもおもしろい。
このシーンだけでも『予告犯』は「鑑賞の価値あり」なんだけれど、着地で「泣かせ」に入るのですね。
こうなると、わたしは居た堪れない気分になる。
「お涙頂戴」的映画あるいは小説などの中には上等のクオリティの作品もあるでしょう。
しかし大部分がイージーなものであり、そのレベルで満足する日本人が大多数である限り、日本の文化芸術に成熟はありえないのです。


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hana2017

横山秀夫は寡作ながら、力量のある、エンターティメント性も優れた作品を書く優れた作家。
映画化された「64」は未見ながら・・・。本は発売を待って購入、一気に読み切りましたが・・・泣けると言った要素はない内容であったと思います。
64年に起きた事件と広報官自身がかかえる我が娘の失踪…と言ったサスペンス的な要素に、絶対的な階級社会である警察内部の矛盾、腐敗も描いたもの。
同作者の「クライマーズハイ」が映画化されたものは観ているのですが、隣県同士のつまらない縄張り争い、新聞社社内にもある各部同士の確執も描かれ・・・本を読んだ時感じたワクワク感が全くない小ぢんまりとした作品となってしまっていた。。
どこがどうして、そういった方向性へ向かってしまうのか理解できない気がしました。
by hana2017 (2017-03-22 10:45) 

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