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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ウルグアイ映画『雨があがったら』が楽しめる理由。」2017年9月28日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ウルグアイ映画『雨があがったら』が楽しめる理由。」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

莫大な予算をかけて作った映画がおもろいとは限らず、実績、実力、カリスマ性などが揃ったスター俳優が熱演してもおもしろくなるとは限らない。
そして入り組んだストーリーと演出を駆使しても、おもしろくなるとは限らない。
ウルグアイ映画の『雨があがったら』
雨があがったらを観ていると、よりそんな事実を再認識するのである。
『雨があがったら』の監督はアナ・ゲバラと レティシア・ホルヘで、脚本も同じ二人による。
出演は、ネストル・グッシーニ、マルー・チョウサ、ホアキン・カスティリョーニ。
この三人は「父親、長女、次男」という役回りで、両親は既に離婚しており、映画のシーンは「父親と子供たちの面会日」だ。
『雨があがったら』というタイトルから連想されるように、出だしからよく雨が降る。
特に風光明媚なロケーションでもなく、いかにも「ウルグアイのその辺」という殺風景な風情だ。
しかしそんな地域が降り続く雨のためにいかにも映画的に鑑賞することができる。
淀川長治言うところの、「雨や風の表現は舞台ではできない」を実証しているかのような内容だ。
子どもたちの前でも女にだらしない父親。
不良ぶりたい長女は頭の悪そうな少年に気を惹かれるが、その少年はもう一人の、少女の割にはゴージャスな女に執心だ。
出鱈目な父親がふと見せる「父親としての責任感」も好ましい。


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