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●「憧れ」ではないけれど(笑)、(ひょっとして)と思っていたキラー・トーア・カマタとジプシー・ジョーが現実化した日。 [「言葉」による革命]

●「憧れ」ではないけれど(笑)、(ひょっとして)と思っていたキラー・トーア・カマタとジプシー・ジョーが現実化した日。

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

高知で国際プロレスの試合を放送したことは一度もなく、国際プロレスは主にプロレス誌の、特に白黒ページで(笑)どんな試合をやっているかチェックできるのみだった。
おそらく新日ファンも全日ファンも国際プロレスに対しては「格下」という勝手な優越感を持っていたから(カール・ゴッチ、バーン・ガニア、ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアントらが来ていた時代は別である)、写真を観ながら「憧れる」ことはなかったが、(これは凄そうだ)と思っていた外国人レスラーはいて、例えば、ジプシー・ジョー、キラー・トーア・カマタ、あと風貌的にはアレックス・スミルノフとか。
よもやその後、ジプシー・ジョーやカマタが全日本のリングに上がるとは夢にも思っておらず、(ほお、こういうレスラーだったのか)と別の意味で楽しませてもらった話はまたの機会にしよう。


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いっぷく

国際プロレスのマイナー感はそれはそれで良かったですね。
90年代のWI☆NGプロや、馬場元子さん時代の全日もややそれに近い
感じでした。キワモノにも広き門で、意外な人がブレイクして。
ジプシーショーは、もともとスミルノフの半分のギャラだったらしいですから。
日本で大変な出世です。

当初の予定通り、国際がヒロ・マツダがエースとなり、
グレート東郷をブッカーにして、猪木ら東京プロレス勢を
そのまま参戦させて、NWAに加盟していたら
ダラ幹日本プロレスのほうが、ロス(WWA)しかパイプのない
田舎団体に転落していたかもしれません。
そうならなかったのは、マツダがフロリダに妻子がいたため
フロリダのエディ・グラハムオフィスの役員になっており、
その日本支部長として国際のブッカーになりたかったのに、
なれなかったのでフロリダオフィスごと
撤退したことが大きかったと思います。
そして結局東郷も撤退して
以来、国際は馴染みのないヨーロッパ勢が来るようになり
ロビンソン以外は日本のファンにはイマイチ受けず、AWAはカネがかかりすぎ
一方、木村がやって以来、金網デスマッチが癖になってしまい(笑)
そのうちTBSに見切りをつけられて、インディ団体化していきました。
でも、マイナー団体があるからこそ日本、新日、全日が光った部分もあるので
それは忘れないでおこうと思います。
by いっぷく (2016-12-11 01:57) 

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