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末尾ルコ詩D「猫、発動」篇。末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?〈美しい〉という言葉に相応しい俳優は誰ですか?」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、発動」篇。

「猫、発動」

修行は知性を持って
感性も発動して
そうでないと
余計に闇に
入り込む

・・・・・・

ぼくの素敵なネコのために
ぼくはあらゆる力を発動させる
その力を常に上昇させながら

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?〈美しい〉という言葉に相応しい俳優は誰ですか?」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
今までに何度もお話していますが、例えば、

「きれい」という言葉と
「美しい」という言葉は、

しっかりと自分の中で使い分けがなされるべきなのです。
それが「言葉に対する鋭敏さ・感受性」というものです。

「美」に対して遥かに敏感であり、評価されねばならない。

もちろん「美は相対的」という可能性は踏まえながら、しかし「絶対的な美は存在する」という可能性も観想しながら。

もうどうしようもない美

というのも存在するかもしれない。

「美しい」と
「きれい」の違い。

それは例えば、前者がさらに奥深く、尖鋭的で時に危険であること。
「きれい」という言葉に尖鋭性や危険性はほとんど感じられない。
「きれい」が、「綺麗」あるいは「奇麗」となるのであればまた別だけれど。
これは「書き言葉」の時だけでなく、「話し言葉」の時でも意識の中で区別するべきなのですね。

ロバート・デ・ニーロは、

「美しさ」においても史上最高の映画俳優の一人であり、「美しさ」以外の様々な要素も考慮すれば、まぎれもなく「唯一の、史上最高の、最も偉大な映画俳優」だ。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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