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●ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』からなぜかマイティ井上オースイ・スープレックス、そして猪木・鶴田ダブルアームスープレックス論争へ」 [「言葉」による革命]

●ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』からなぜかマイティ井上オースイ・スープレックス、そして猪木・鶴田ダブルアームスープレックス論争へ」

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

YouTubeで映画『メッセージ』の予告編(トレーラー)を見ようとしたら、「マイティ井上のオースイ・スープレックス」なんてのが「おすすめ」に出ていたのでそちらをクリックしてしまったではないか。
ンナロ~~~!
しかし「オースイ・スープレックス」、つまり「オーストラリア式スープレックス」とプロレス界では呼びならわされているスープレックス、マイティ井上、このように普通のレスラーがあまり使わない技を駆使していたのであるな。
スープレックスと言えば、初期のジャンボ鶴田は、ダブルアーム、サイド、フロント、ジャーマン・スープレックス・ホールドと駆使できるのが大きな売りになっていた。
わたしはフロント・スープレックスが好きだったのだけど、あまり使わなかったですね。
そこで思い出したのが、新日ファンと全日ファンの「ダブルアーム論争」。
アントニオ猪木の、弧が小さくスピーディなダブルアームスープレックスと鶴田の弧が大きくふんわりしたそれとどちらが優れているかという論争ですね。
猪木派は、「猪木は弧を小さくスピーディにして相手が受け身が取りにくいようにしている」と論じ、鶴田派は、「弧が大きい方が見栄えがするし、相手のダメージもきっと大きい」的に対抗していたが。
ただ、「エンターテイメントとしてのプロレス」という側面が大っぴらに語られることのない状況だったので、「見栄え」という点は、本当はそれを楽しみにプロレス観戦しているファンが多かったにも関わらず、さほど大きな要素ではないふりをする傾向もかなり強かった。

しかし時を経てもう結論は出てしまったのだろう。

「猪木は弧が大きなダブルアームスープレックスができなかったから、やらなかっただけ」

だと。

あ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』予告編も、ちゃんと観ました(ふふふ)。

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いっぷく

マイティ井上は、どこかで身につけて、いつか出してやろうと思ったんでしょうね。
竹内宏介が、「バックドロップというよりジャーマンに近いですね」と解説しているのに、倉持アナは「ジャーマンに近いバックドロップ」と譲らなかったのは困りものでしたけどね。

猪木はドロップキックも落ちる時尻もちをつくようなキックでした。
清水一郎アナは、「カンガルーキック」と呼んでましたけどね。
鶴田とは、6センチの身長差と、もともともっている身体能力の差があるのかもしれません。
猪木はパフォーマーとしても、レスラーとしても、かなり「努力の人」ではないのかなという気がします。
本人の自伝でも、もともと運動神経はそれほどよくなかったと告白していますね。
猪木は、レスリングができるパフォーマーになりたいと「1976年のアントニオ猪木」に書かれていましたが、それはとりもなおさず、自分のレスラーとしての魅力に自信がなかったからだと思います。
たとえば、アーニー・ラッドが、ベストの相手はジャイアント馬場で、馬場とは睨み合うだけでお客が湧いてくれる。逆に小さすぎるレスラーが相手でも、判官贔屓で試合に関心を持ってくれる。プロレスラーとしては普通の身長の猪木との試合がいちばん難しかった」と言っていますね。

メディコ2号の少年キング「抜擢」掲載。レスラーの序列としてはペッパーゴメスなのですが、覆面を一人入れたかったんでしょうね。ルイス・ヘルナンデス。かわいそうに、72年の1月に来日した時は、第二の人生の準備でトレーニングが不十分だったためウエイトが増え、心臓発作かなんかで日本で亡くなったのですが、夫人は遺体を運ぶカネがないと言って日本で荼毘に付しましたね(葬式も夫人不参列)。
ジノ・ヘルナンデスが息子と言われてますが、夫人の連れ子なので血縁関係はないようです。
それにしても、メディコ1号は、その前年に1回来たきりでさして活躍していないのに、ちゃんと欠番にして、「2号」と「3号」が来日したのは律儀だなと思いました。
by いっぷく (2017-03-10 01:26) 

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