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●「プロレスとカタルシス」~ブル中野のプロ意識は、男子プロレスを凌駕したか? [「言葉」による革命]

●「プロレスとカタルシス」~ブル中野のプロ意識は、男子プロレスを凌駕したか?

末尾ルコ「プロレスと格闘技で知性と感性を鍛えるレッスン」

「プロレスとカタルシス」ということで言えば、1990年代前半は男子プロレスよりも女子プロレスによって大きなカタルシスを味わっていた。
特に1993年4月2日、横浜アリーナで行われた神取忍VS北斗晶を頂点とする女子プロレス対抗戦には熱中した。
しかしあらためて調べて驚いたのだが、1993年は米国で第1回UFCが開催されている。
つまり日本ではパンクラスがもうスタートしていて、それまでのUWFスタイルの試合が、「格闘技風プロレス」だったことをプロレスファンたちに明確に理解させていた時期だったわけだ。

女子プロレスの話に戻ろう。
それ以前は男性プロレスファンからまったく相手にされてなかった女子プロレスだけれど、『週刊プロレス』に取り上げられることが徐々に多くなりっていた。
特に「ブル中野VSアジャ・コング」の金網デスマッチのフィニッシュで、ブル中野が金網の最上段からギロチンドロップを敢行したことによって、男性プロレスファンの度肝を抜いたのは大きなターニングポイントとなった。
わたしはその試合をやはりまず『週刊プロレス』の記事で見たのだけれど、確かに(女子プロレスに何か凄いことが起こっているのではないか)という感覚は持った。
しかし自分がいつから女子プロレスの映像をしっかり観るようになったかははっきりと覚えておらず、「ブル中野VSアジャ・コング」戦の前だったか後だったかも明確ではない。
ただ、ブル中野に対して、(このレスラーのプロ意識は凄いな)と感服した記憶は鮮明に覚えている。
ブル中野は、「ブル中野となった途端、完璧にブル中野になっている」という強い印象だ。
わたしは間違いなく、「そのなりっぷり」に強くカタルシスを感じていた。

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いっぷく

ブル中野はすごいですね。半分だけ髪を剃ったり、スプレー1缶使って髪を立てたり、アジャに思いっきりモモを切らせて刀傷のような裂傷跡をつけたり(テリーのフォークの傷どころではなかったと思います)、アイデアも実践もとにかくすばらしかったですね。たとえ太ももとはいえ、見えるところに傷を残すというのは女子プロレスもここまで来たかと思いました。
ダンプ松本の東スポでやってたインタビューによると、全女というのは底意地の悪い会社で、戦わせたい者同士には、双方に「あいつが悪口を言ってたぞ」とケシカけて、気持ちはガチで対立するように仕向けるそうです。それによって、ダンプとアジャは犬猿の関係になり、ブル中野とアジャも抗争がエスカレートしたそうですが、アジャがユニバーサル・プロレスでウケたことで、まだ赤いベルトは渡したくないというブル中野の意地もあってあのようなハードな試合になったんでしょうね。

「喜劇駅前茶釜」ですが、画像で、やしの実割を食らっているのは星野勘太郎です。まだ馬場の腕も太い頃で、足もよく上がり、強引に持ち上げられた星野勘太郎はネックハンギング状態でつま先立ちです。同じレスラーとは思えず大人と子供のようですね。
5人の中で一番後輩だった大熊には簡単に首投げだけ。後の国際プロレス社長の吉原功には、16文を思いっきりミゾオチに食らわせています。セメントが強いといわれる北沢幹之は、技一発では倒せなかったのでプロレスの凄みを地味に感じさせるボディースラムで叩きつけていました。リングではなく撮影所なので痛かったと思います。そういえば馬場は、全日本の頃はもうボディスラムもできませんでしたね。マシオ駒はこの頃馬場の付き人だったので、馬場が直接手を下すのは気がとがめたのか、フランキー堺を抱え上げて、フランキー堺がキックしていました。
この頃、まだ力道山は存命で、「チャンピオン太」というドラマに出ていました。こちらには猪木や大木が出ていましたが、猪木は伝説となっている死神酋長などという道化をやらされて、たしかに役者としても馬場との扱いは違っていました。
by いっぷく (2017-05-02 01:01) 

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