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●「佐山聡VS前田日明の不穏試合」と、かつての佐山発言。 [「言葉」による革命]

●「佐山聡VS前田日明の不穏試合」と、かつての佐山発言。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

プロレス界に「不穏試合」とファンの間で呼ばれる試合が案外多くあって、つまり「いわゆるプロレスの文脈を逸脱してしまった試合」のことを言い、そうした「試合の謎」について語るのがプロレスファンの大きな楽しみの一つだった。
「だった」と過去形にするのは、現在のプロレスのように明らかなエンターテイメントとして定着してしまうと、「不穏試合」が生まれる余地も限りなくゼロに近くなるわけで、これは「宝塚のショーに不穏試合はあり得ない」というレトリックが近い。

YouTubeで「佐山UWF最終戦」という「不穏試合」の一部を観ることができる。
とても興味深い試合だ。
相手は前田日明。
当時互いの感情がもつれにもつれ、それがストレートに試合内容に反映されている。
前田は長身と体力を生かし、シビアな掌打を佐山に連発する。
佐山は明らかにその攻撃を嫌がっていて、前田の懐に入ろうとするが、前田はそれを許さない。
結局前田の膝蹴りに対する佐山の「金的だ」というアピールによって前田の反則負けで終わるのだが、どう見ても前田の方が強そうに見える。
と言うのも、当時の佐山は「藤原さんや木戸さんにはいつでも負けてもおかしくないけれど、前田はまだまだ隙があるから」と、「佐山、藤原、木戸」の3人がUWFのトップであり、前田ら若手はかなり格落ちであると繰り返し語っていた。
わたしはその談話を見たり聴いたりしながら、(まあそんなものかなあ)くらいに感じていた。
同時に、(こういつも判で押したように「弱い、弱い」と言われてはたまったものではないな)とも。
人間、相手が後輩でも、プライドは重んじるべきである。

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いっぷく

猪木が前田に脅威を感じていたように、佐山も前田を意識していたんでしょうね。
それと佐山も、あまり世渡りが上手い人ではないのかもしれませんね。
前田もそうかなと思っていましたが、引退後も文化人然として仕事をしているようなので、そんな心配は無用なのかもしれません。

私は不穏試合というと、両者が仕事を放棄したものなので、リング外でのあれこれを垣間見る面白みはあっても、プロレスとしては「失敗作」のそしりは免れないと思うのですが、少なくともどちらかは仕事を遂行しようとし、そして見た目はプロレスになっているのに、片方が寝てくれて思わぬ結果になるというような、プ板がいうところの“片八百長”私がいうところの「駄作」を見つけるのが密かな楽しみでした。
たとえば、馬場が3度目のNWAを取った試合や、逆にPWFを奪還し損ねてセントルイスまで取り返しに行ったのはそうだと睨んでいます。どちらも相手はレイスなんですけどね。
NWAを取った試合は、次にマスカラスの挑戦が決まっていたので、馬場は自分がベルトをやりとりするつもりはなかったと思うし、げんにジョー樋口のカウントの入れ方が一瞬止まって困っていました。馬場はベルトの返し方に困り、リターンマッチではロープの最上段から滑って金的を打って負けるという、しまらない結末にしたのも、ドタバタぶりをあらわしています。
でもどちらも、レイスが馬場の事情を汲み取ったのだと私は思いました。
当時は、全日本は客が入らなくて、地方の売り興行の集金もままならなかったそうなので、レイスとしては、地方でNWA世界ヘビー級選手権をひとつでも多く開催してやろうと思ったのでしょう。
セントルイスまでベルトを持ってきたのは、すでに馬場は日本テレビに社長の座を奪われ、ブッカーも佐藤昭雄になってしまい居所がなかったので、プロレスの本場でタイトルを奪還させ、アメリカのプロモーターたちや、日本テレビに対してアメリカでの存在感を見せつけさせたのでしょう。そのためにレイスは、わざわざ地元で馬場に負けたのです。本当だったら敵地の日本で負けてベルトを返して来たってよかったのに。
馬場の「引退試合」に、デストロイヤーとハンセンとジン・キニスキーが来ていましたが、たしかに試合としてはそのメンバーでよいと思うのですが、シャドーポリスマン(ポリスマン自体シャドーな存在ですが)として、ハリー・レイスとキラー・カール・コックスを私は挙げたいのです。
そのデンでいうと、新日本は猪木とホーガンの試合がそういうことになりますが、あれはレイスと違い美談的要素がなかったですね。
by いっぷく (2017-05-15 01:24) 

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