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●テッド・デビアスVSロッキー羽田、はたまた「和製アメリカンドリーム」と高知県民体育館。 [「言葉」による革命]

●テッド・デビアスVSロッキー羽田、はたまた「和製アメリカンドリーム」と高知県民体育館。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

テッド・デビアスVSロッキー羽田の試合を観た。
「昭和55年」に行われた試合だという。
ロッキー羽田の方がかなりでかく見える。
しかしロッキー羽田がテッド・デビアスに、普通は勝つわけにはいかない。
釣り目のテッド・デビアスは自分よりでかく見えるロッキー羽田を寝かせ、左腕を集中攻撃する。
プロレス用語で言うところの、「一点集中」である。
ニーやエルボー、あるいは逆向けに捩じったり、インディアンデスロックに似た技などで、ロッキー羽田の左腕を追い詰めていく。
大丈夫か、ロッキー!頑張れ、ロッキー!!
そんな観客の願い(?)が通じたのか、ロッキー羽田は立ち技で反撃に転じる。
中でもアトミックドロップは、190センチを超えるロッキー羽田ならではの見栄えのする大技で、テッド・デビアスもたじたじだ。
ひょっとしたら、いけるのか?
しかしそう観客が期待(?)したのも束の間、テクニシャンのテッド・デビアスはスモール・パッケージホールドの罠を持ち、ロッキー羽田から3カウントを奪う。
無念だ!惜しかったぞ!ロッキー羽田!!!

全日本プロレスのロッキー羽田が凱旋(?)帰国した時、プロレス雑誌は「和製アメリカンドリーム」と称した。
(和製アメリカン・ドリームって、おかしくないか?)
さらにあるプロレス雑誌には、「日本人離れしたハンサム」などと書かれていた。
うーむ、確かに「離れ」はしているが、これが「ハンサム」か?
と、数少ないプロレスファンと首を捻り合ったものだ。
そしてわたしは何度か高知県民体育館でロッキー羽田の試合を目の当たりにした。
中でも記憶に深く焼き付いたシーンがある。
対戦相手が誰だったかは忘れたが、

ロッキー羽田は相手の鼻の穴に指を入れ、

「こんの、やろうおお」と言ったのだ。

これも昭和プロレスの一断面である。

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いっぷく

テッド・デビアスVSロッキー羽田。すばらしいカードですね。日本ではディック・スレーターよりも格下になってしまったテッド・デビアスのために、羽田は負けなければならない役どころですね。でも羽田はちゃんと自分がすべき仕事を理解していたわけですね。当時の羽田の置かれている立場を考えると、切ない気持ちになりますね。
馬場は、この羽田の使い方について迷っていたみたいですね。馬場好みの大型で、少なくともある時期までは天龍よりプロレスがうまかったので、天龍をリードするパートナーとして、ガイジンに負ける役として重宝していました。
しかし、凱旋帰国した試合に大流血して負けているんですよね。Mr.桜田もそうでしたね。猪木ならともかく、馬場が日本人レスラーにそういう千尋の谷路線をとるのは、要らないレスラーの肩たたきなんですよね。
日本プロレスが崩壊して全日本に合流した時、内心歓迎していなかった馬場は徹底的に要らないレスラーを冷遇しました。キラー・コワルスキーが大木に執拗にニードロップを繰り返して大木が出ていくようにしたり、上田馬之助や松岡巌鉄の試合を減らして干したり。結局道場で若手を教えられる高千穂とミツ・ヒライ、裏の仕事をしてくれる小鹿だけを残しました。
桜田も羽田も旧日本プロレスの残党ですから、彼らにチャンスを与えるぐらいなら、生え抜きの渕や大仁田にチャンスを与えたいと思っていたはずです。桜田も伊藤正男もアメリカに放り出したままで、羽田に対しても本当はそうしたかったのかもしれませんが、マシオ駒が亡くなったり、サムソン・クツワダが独立を企てて解雇されたり、サンダー杉山が離脱したりして日本人が足りなくなったものの、今更馬場より古株のヒライやミスター林を売り出すわけにもいかず、それで羽田が帰国できたという事情があったと思います。
何しろ馬場のアメリカ放り出しは、旧日本プロレス勢だけでなく、佐藤昭雄、越中詩郎、ターザン後藤など、子飼いのレスラーにもやってましたからね。
羽田は内臓疾患で引退しましたが、なぜか引退式では10カウントのゴングもならなかったですね。所属する団体が崩壊して上がるリングを失ったレスラーというのは、なかなかつらいものですね。
by いっぷく (2017-06-15 01:24) 

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