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●「反則OK」ルールがプロレスにもたらした豊饒さ・・・「反則負け」タイミングの楽しさ。 [「言葉」による革命]

●「反則OK」ルールがプロレスにもたらした豊饒さ・・・「反則負け」タイミングの楽しさ。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

プロレスの「反則」が「カウント4以内なら許容される」というルールはよく知られていたけれど、現在はそんなこともすっかり形骸化している。
と言うか、恐らくプロレスの初期はけっこう厳密に反則カウントも取っていたのではないかと想像するが、わたしがプロレスを観始めた頃は既に「カウント5で反則負け」なんてことはまずなくて、普通は「4」まで数えてそこで一旦ちゃらになって、間をおいてまた数え直し、しかしまたちゃらにして・・・というパターンが定番になっていた。
では反則負けになることはなかったかと言えば、そういうわけでもなくて、ではどんな場合になるかと言えば、それは「目に余る状態になった」と見做された時だった。
というのもかなり建前で、恐らくレフェリーは試合展開や観客の満足度を測りながら、(まあ、だいたいこのあたりか)という時点で、(いくらなんでも、もう我慢ならあんん!)あるいは(もうこれ以上やっては殺し合いになるううう!)という雰囲気を「反則負け」を宣していたのではないだろうか。
「反則攻撃カウント4以内ならOK」という奇妙なルールは「悪役(ヒール)に一定時間の反則を認めて、観客を興奮させる」ための工夫として生まれたのだろうが、その効果はプロレス発展の上で大いに効果的だったと言える。
「一般のプロスポーツ」というイメージを残しながらも、「反則OK」ルールによって、「正義と悪の対立」を明確にしながら興業を盛り上げる。
このルールなしでは、ディック・ザ・ブルーザーやザ・シークなど、豊饒な悪党たちの系譜は生まれておらず、もちろんプロレスそのものの人気も継続しなかっただろう。

例えばわたしは、プロレス以外のスポーツ(的なもの)にはまったく興味がなかった子ども時代、プロ野球の試合をたまに目にして思ったものだ、(何だ、野球選手って、(プロレスラーと比べたら、ただのおじさんじゃないか。もっと反則やったり、覆面選手を出したりすればいいのに)などと。

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いっぷく

そうですね。反則カウントはまさに「試合展開や観客の満足度」次第でしたね。
エリックが初来日で武道館で馬場と戦った時は、3本目、イス攻撃でエリックの反則負けになりますが、沖識名は反則カウントを数えず一発でエリックの反則負けを取ってましたね。武道館の都合で試合を終わらせなければならなかった事情もあったそうですが。
オープンタッグのフォーク攻撃のときは、何度も何度もフォークを刺して、ずっとカウントを数えなおしているのに、最後はすぐにゴングを要請していましたね。十分エキサイトしたからこのへんでいいだろうと思ったんでしょうね。
あと、レフェリーに手を出すと反則負けになったりならなかったりという、曖昧なルールもありましたね。ブルーザーやクラッシャーは、沖識名のシャツを破ってリング外に放り出していましたが、それでも沖識名は反則を取らなかったですね。彼らが反則負けとなるには、もっとすごいことをやらないといけなかったんですね。
ヘーシンクの最後の試合でしたか、対鶴田戦は、チョーク攻撃の時、ジョー樋口は一気に5カウント数えて試合を終わらせましたね。試合がつまらくて、これ以上長くやってもと判断したのかもしれません。
そういう意味では、ピンフォールのカウントもリフェリーの裁量でまちまちでしたね。藤波とボブ・バックランドの試合で、ミスター高橋か山本小鉄か忘れましたが、物凄い速さで3カウントとって試合を終わらせたので、新日本は全日本をバカにしているが、何というレフェリングだ、ジョー樋口はゆっくりカウントするではないかなどと憤ったものです。そのジョー樋口も失神ばかりしていたわけですが。
当時のプロレス雑誌の投稿欄では、レフェリーはなぜガイジンの反則を注意しないという議論が盛んでしたね。ある投稿では、ビデオで何度も見直したが、ブッチャーの凶器はジョー樋口の死角になっているというものもあり、そこまで確認したのならそうなのかもね、と思いつつも、でも何となくしっくり来なかったものですが、いずれにしてもみんな真剣でした(笑)。
by いっぷく (2017-07-15 01:04) 

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