SSブログ

●1970年代の大人な歌謡界の中でひときわ麗しいベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」。 [「言葉」による革命]

●1970年代の大人な歌謡界の中でひときわ麗しいベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」。

末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

1970年と言えば、わたしは頑是なき子ども。
おそらくテレビなどは親か祖父母がチャンネルを決めていたに違いなく、1970年の出来事などを調べても、何をどう観て、何をどう聴いていたのか判然としない。
あるいは単に頑是ないわたしはかなりのおとぼけキッズだったのか?
しかしここでこの問題に深入りはすまい。
1970年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドの台頭があったというお話はしたし、北原ミレイの曲も売れたという。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドについては台頭してきた当時に観ていた記憶があるが、北原ミレイはまったく記憶がない。
では当時他にどんな歌が世の中に流れていたのだろうと軽く調べてみたら、
皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」・・・これは確かによく耳にしたし、皆川おさむが歌っている姿も見た記憶がある。
ザ・ドリフターズの「ドリフのズントコ節」「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」・・・
これらは自分でも歌っていた記憶がある。
ザ・ドリフターズの影響恐るべしで、志村けんが台頭してきた頃の凄まじい勢いもよく覚えている。
ただ、それからずっと後のことになるが、「ヒゲダンス」とかは個人的にはまるでおもしろくなかった。
もちろんある時期から土曜の夜は、『全日本プロレス中継』だったのだけど。
ちなみに『俺たちひょうきん族』は、高知はフジテレビ系列がネットされてなかったために、日曜の午後に遅れて放送されていた。
1970年代は藤圭子、奥村チヨ、青江三奈、いしだあゆみらもよく売れたようだが、なかなかに大人の世界でしたな。
現在のJ POPのようなスカスカの歌詞を歌い上げるような風潮は微塵もありませんでしたな。
あ、すべてのJ POPを「スカスカ」と言っているわけではありません、念のため。
と、取り敢えずフォローしておいて、しかしこの1970年代にヒットした歌の中で私がひときわ注目したいのが、

ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」だ。

「白い色は恋人の色」・・・これはメロディも歌詞も素晴らしい。
と思ったら、作曲は加藤和彦なのだね。
「白い色は恋人の色」はずっと記憶にあり、しかし誰が歌っていたか覚えてなかったのだけど、ベッツィ&クリスなのだった。
ベッツィ&クリスという名前で日本人という可能性も考慮したが、しっかり米国人だった。
なぜ日本の歌謡界にいきなりベッツィ&クリス・・・という野暮な疑問は止めておこう。
リンリン・ランランなどと比べても、なかなかに真っ当なデュオであったようだし。

nice!(28)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 28

コメント 1

いっぷく

「白い色は恋人の色」は1969年ですね。
1969年というのはすごい年です。
政治の世界は、花の69年生。小沢一郎、羽田孜、土井たか子、不破哲三、山原健二郎らが初当選した年です。
プロレス界は、NETがプロレス中継に参入した年で、つまり猪木がワールドリーグで優勝して、ナンバー2の若獅子からBIの時代に入ったときです。
猪木と結婚した倍賞美津子が、松竹で映画の初主演した年でもあります。男はつらいよも始まりました。
歌は、「夜明けのスキャット」とか「ブルー・ライト・ヨコハマ」とか「いいじゃないの幸せならば」とか「三百六十五歩のマーチ」とか、毎月ヒット曲が出るような時代でしたが、私は千賀かほるの「真夜中のギター」がよかったですね。フォークソングのお手本のような歌です。
「白い色は恋人の色」は、辻と加護がカヴァーしていると思ったら、20組ぐらいしてますね。
東宝の4大人気シリーズのうち、喜劇駅前シリーズが終了した年でもあります。
60年代の高度経済成長の土台から、70年代の発展へ、時代がかわるときですが、左翼運動家にとっては、大きな節目となる年でもあったわけです。安保闘争を好意的に報じていた大新聞が、ある日を境に体制派になってしまった、マスコミ学的には重要な変わり目の年です。その中には朝日新聞も入っています。ですから、私は朝日が左翼とかいうのは疑問符がつきますね。
by いっぷく (2017-07-23 01:25) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0