SSブログ

●80年代のアイドル菊池桃子はいかに人気を獲得し、いかにアッと言う間に「ラ・ムー」へと至ったか? [「言葉」による革命]

●80年代のアイドル菊池桃子はいかに人気を獲得し、いかにアッと言う間に「ラ・ムー」へと至ったか?

末尾ルコ「昭和芸能史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

現在の菊池桃子の「戸板女子短期大学の客員教授」というポジションについては、わたしはフォローもチェックもしていないので何も語らない。
あくまで「80年代にアイドルとして大成功し、比較的短期間で急降下した」菊池桃子に関してのプチエッセイを試みているのである。
と言うのも、わたしは80年代、菊池桃子をかなり気に入っていたのだ。

何よりも菊池桃子には従来のアイドルにない「特別感」があった。
日本のアイドル歌手というのはそりゃあ一般の女性たちと比べれば容姿は優れている場合は多いけれど、よく見ればけっこう(容姿が)ヘンな人も多いのが普通であり続けており、「それが日本のアイドルだから」という世界であるわけだが、菊池桃子がメディアに現れ始めた頃の印象は、「アイドルとしては例外的に整った容姿をしている」というものだった。
雰囲気も、頭はよさそうには見えなかったが、話し方や立ち居振る舞いに上品さがあった。
プロポーションもアイドル歌手としては比較的慎重があり、しかもデビューしてからしばらくは(歌う時に)長いスカートしか履かなかったことから、逆に男性の想像力を刺激していたのだと思う。
まあ簡単に言えば、わたしも菊池桃子の容姿には大いに魅力を感じていたのだ。
ところが恐るべきことに(笑)、菊池桃子は7歌においても演技のおいても、「何もできない」に等しかった。
「いかにアイドル」とは言っても、(そりゃあ、ないよ・・・)と文句の一つもつけたくなるような、スカスカ空気が抜ける如き歌唱法。
それを作曲家の林哲司は、「声に色がある」と表現していたが、いかにも無理のある説明だった。
演技に関しても、「何もやってない」と同じような状態で、それでもインパクトある顔だちであれば生き残る道はあったかもしれないが、「整っていて、無難なことしかしない」キャラクターでは女優としてやっていけるわけがない。
1989年に至り、「ラ・ムー」というロックバンドのヴィーカルを務める旨発表され、何度かテレビで歌う姿を見かけたが、日本の芸能史には様々な「不可解ロック」が出没するけれど、「不可解さ」と「寒さ」において、「ラ・ムー」はまごうことなきトップクラスだと断言できる。

nice!(24)  コメント(2) 
共通テーマ:アート

nice! 24

コメント 2

いっぷく

>昨夜から夏風邪の症状
それは大変ですね、養生なさって下さい。
私は今月第一週が発熱と咳で最悪でした。たぶん蒸し暑さで疲れが蓄積していたのでしょう。
そしてそのときもそうでしたが、現在も五十肩が深刻で、これまでにも経験はあったのですが今回は特にひどいので、整形外科→リハビリ科で、理学療法士に肩と腕をいじってもらっています。
リハビリ科というのは治療費が高いですね。40分の治療と、商店街にある60分のもみほぐしが同じぐらいの金額です。腕が痛いと、ものを考えたり、書いたり読んだりするのも集中できないし、眠りも浅いので1日中うつらうつらしているような状態です。燦々とした太陽もいいのですが、せめてもう少し涼しくなって欲しいと思うこの頃です。

菊池桃子ですか。安田大サーカスのクロのように、アイドル声は地声ではなく作っているという話を聞いたことがあるので、当時から結構したたかな人なのかなと思ったら、客員教授になっちゃいましたね。
三田寛子とか山瀬まみとか、自己プロデュースに長けている人は、コメンテーターとかクイズ番組の回答者などで今も芸能界に生き残っていますね。
それとともに菊池桃子の場合には、決定的なスキャンダルがなかったことも、文化人に転身できた遠因かもしれません。当時はとにかく、リリースした楽曲は必ずオリコン1位にするというプロジェクトがありましたよね。彼女もしたたかでしたが、支える事務所の側も、彼女のアイドル性を守ろうとしました。
そして、結婚後はママタレの走りとなりましたね。これも機を見るに敏です。
まあ後は、子供が死産とか障がい児とか、自分が難病持ちとかいうのも、結果的に文化人としてのプロフィールに上手に利用していますよね。
たしかにお子さんの手足の麻痺はお気の毒です。が、本当に障がい児療育が大変なら、大学院に行く暇なんかないと思います。脳障がいの子供をもった親の苦労はそんなもんじゃないですから。
ラ・ムーの頃はよくわかりませんが、イカ天が始まった頃ですから、やはり機を見るに敏というか、自分を売るには何をしたらいいのかという鼻が利く人ではあると思いますね。ちと言葉が悪いかな。
by いっぷく (2017-08-27 01:09) 

hana2017

同性としては当然ながら…菊池桃子さんのアイドル時代には興味もなくて、しかし上手く生き残って現在に至っている…と言うのが私の感想です。またお子さんについても約一年近い長期の入院生活中。そして今も定期的な通院時に目にする、脳障がい児とその母親たちの姿。
あの方達はすでに先の見えている私とは違って、今の状況がこの先両親がいなくなった後も続く訳ですから…その点経済的に恵まれた彼女は、例外中の例外ではないかと思われてなりません。
ところで今回は、東北海道を旅してきた訳ながら。←なんてお気楽な!などと思わないでくださいね。これでも事前のリサーチ、無事に帰れるよう張り詰めっ放しでいる神経は結構なものです。
釧路では、全国を巡回中の「高倉健」展を観てまいりました。他に目ぼしい観光施設がなかったと言うのもありますが、こちらのブログ記事、いっぷくさんの書かれたコメントが強く心に残っていた為であったのは否めません。
私生活で幾人かの女性関係はありながら、それは一人の人間として当然の事と思います。
デビュー時から亡くなるまでの60年余りを、ひとすら俳優として第一前で活躍。映画スター高倉健として生きたのは、ただ単に容姿に、作品に恵まれたとだけで語りきれない。
彼の驕る事のない生き様があったからこそ。誰からも慕われ、尊敬され、愛され続けた…のだと納得の思いがしました。
共演した女優さん達の美しさ、中でも藤純子の色っぽさは、今時の女優にはないものです。
晩年になってからも彼は、優れた作品を数多く残したものと改めて思わされました。

by hana2017 (2017-08-27 10:30) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。