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●プロレスラーの訓練と言えば、ヒンドゥ・スクワットを何回?その過酷なトレーニングをわたしは。 [「言葉」による革命]

●プロレスラーの訓練と言えば、ヒンドゥ・スクワットを何かい?その過酷なトレーニングをわたしは。

末尾ルコ「プロレスと肉体訓練の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

昭和からプロレスを観ている人間にとって、「ヒンドゥ・スクワット」という言葉は、カレーライスやラーメンと同じくらい日常的なものである。
特に子どもの頃からプロレスを観始めた男の子にとって、(プロレスラーのようになりたい!どうしたらプロレスラーのようになれるのか?)という命題は重要で、もちろんわたしもプロレスファンになるや否や、プロレス特訓の研究を始め、実践をスタートさせた。
とは言え(笑)、「れっきとした格闘技でありスポーツである」という前提で書かれ、編集される昭和のプロレス関係本が、プロレスラーの訓練についても「事実」を書いているとは限らず、と言うか、「事実」をすべて書いたら不味いことになるのは間違いないから書くわけもなく、わたしや全国のプロレスキッズたちが(ふむふむ、こうすればプロレスが強くなれるのか)と納得し、生活の中に取り入れていたプロレス訓練の何割が事実で、何割が法螺であったか定かではない。
と言うか、今の文は無意味に長いな。ま、いいか♪
しかしほとんどのプロレスラーたちがヒンドゥ・スクワットを訓練に取り入れていたのは間違いなかろう。
もちろん、わたしもだ。(プロレスラーではないが)

実はわたし、ジムとかでトレーニングをするのは好きではなく、今まで一度もやったことがない。
けっこうなお金がかかるというのは重大な理由だけれど、余程近場にない限り、ジムまでの往復に一定時間かかり、(その往復時間にトレーニングできるじゃないか!)と、わたしは考えるのである。(個人の考えです)
その点、「筋トレの3本柱」とも言える、「腕立て伏せ、腹筋(シットアップ)、ヒンドゥ・スクワットは自宅でやりたい時間にできるではないか!
そしてプロレスラーの訓練的読み物には、「ヒンドゥ・スクワットを毎日、何千回とか一万回とか」、細かな数字は忘れたけれど書いているではないか。
(こいつは燃えるぜ!)と燃えに燃えたキッズ時代のわたしであるが、正直な話をすると、腕立てや腹筋と比べれば、ヒンドゥ・スクワットはサボることが多かったのである。
なぜか?
「しんどい、きつい」からである。
そしてあの、「立った状態から膝を曲げ、腰を落とし、腰を上げる」を繰り返す地味な作業。
これに比べると、腕立てや腹筋は比較的効果も早く感じられるし、(やったぞ)という感覚が強く持てたのである。

ヒンドゥ・スクワットがどれだけ足腰の強化に効果があるかは、現在も議論があるところのようだ。
不適切な姿勢でやると、膝などを痛める可能性があるという意見も目にする。
ところがわたし、最近またヒンドゥ・スクワットを地道にやるようになっているのである。
なぜか?
その理由をお話しする機会もまたあるに違いない。


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いっぷく

子供の頃、お年玉でエキスパンダーを買ったのに、イトコに「そんなものやったら背が伸びなくなる。体を鍛えるから腕立て伏せが一番」といわれ腕立て伏せは少しやっていましたが、目的もなかったので地味な努力ができず、いつしかやらなくなりました。
うさぎとびをトレーニングに入れる人は今はいないようですが、ヒンドゥ・スクワットも昨今その是非が議論されていますね。
ある程度のストレスはカラダを鍛えるのに有効で、「しきい値」を超えると逆に負担となる、ということなのかなと素人なりに解しています。
水たまりができるほどスクワットを頑張ったジャイアント馬場は「しきい値」をとっくにこえていて、晩年はいったん腰を下ろすと付き人に引っ張ってもらわないと立ち上がれなかったほど、膝が壊れていたらしいですね。
そういえば、試合でも、起き上がるのにロープを掴んでゆっくり起きるので、タッチした後もしばらくリング内に残っていましたね。レフェリーや観客は見て見ぬふりして。
山本小鉄は、「馬場さんは練習しない」と批判していましたが、あの身体能力を誇った馬場の急激な衰えは、小鉄の言うこととは反対に、力道山の出鱈目な指導で、若い時無理な練習をしすぎたためではないかという気が私はします。小鉄が入門した時は、すでに馬場はアメリカにいたので、小鉄は馬場の水たまりスクワットは見ていないはずです。
力道山門下生のミツ・ヒライも心臓肥大だったことを自分で打ち明けていましたし、山本小鉄自身も低酸素脳症の最期でしたから、やはり猛練習で心臓に何らかの後遺症が残っていた可能性があります。
まあきっと、科学的にはむしろ有害ですが、人の考えられないようなことをやりとげる、という達成感目的に、力道山は無茶を強いたのでしょうね。コップをかじらせたり、酒の一升瓶一気飲みをさせたりするのと同じノリだったのだろうと思います。

たしか、松田聖子は、松田聖子という役名のドラマでキスシーンがあり、デビューした時は「キス経験者」だったんですね。
さすがにそこまでするアイドルは同時代にいませんでしたが、松田聖子と、バクロ本を出した江本孟紀、毒舌と知性があるかのような自己プロデュースに長けたビートたけし。80年代のその人たちの活躍から、文化や時代の価値観が変わっていったような気がします。

天地真理は、「時間ですよ」での登場の仕方がよかったのと、「水色の恋」という歌が良かったのが大きかったですね。特別美人ではなくてもきれいに見えてしまったというか、まりちゃんはきれいということにしたいという意識を多くの人がもったのかもしれません。
「時間ですよ」では、太っている頃の研ナオコが出ていましたが、岡本太郎をして「21世紀の美女」といわしめたあの微妙な顔と遠慮のない下半身は思春期に向かう身には結構強烈でした。その後、激ヤセで熱は冷めましたが(笑)
by いっぷく (2017-09-03 02:32) 

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