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●10代の末尾ルコが作った恐るべき詩「ぼくのアリジゴク」とは? [「言葉」による革命]

●10代の末尾ルコが作った恐るべき詩「ぼくのアリジゴク」とは?

末尾ルコ「文学的虫の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしは小学校進学前には近所の保育園へ通っていた。
保育園入園前は、両親の仕事時間は近所の知人宅に預けられていた。
特に親しい友人が二人いたが、一人は市立中学へ進んだのですっぱり縁が切れ、もう一人は同じ公立中学へ進んだが、長ずるに従って価値観も生活パターンもまったく異なっていることがあからさまになり、徐々に遠ざかっていった。
「近所の知人宅に預けられていた時代」以前のことはほとんど覚えてなく、しかしこうしていろいろ書いている内に何かおもしろい記憶が蘇ってくるのではないかという期待もある。
「虫」についてのお話もちょいちょいしているが、以前書いた「斑猫(ハンミョウ)」以上にわたしにとって特別な存在だった虫がいた。

「アリジゴク」である。

アリジゴク。

さらさらした柔らかめの地面に漏斗型の穴を掘り、その中で蟻を待ち受ける。
蟻らめが一旦その中に滑り込んでしまえばもうお終いだ。
漏斗状でさらさらした粉状の土でできた穴を登って逃れることは不可能だ。
待ち構えたアリジゴクの強靭な牙の餌食になるしかない。
わたしの家の庭でアリジゴクを見かけることはなかったが、これまた近所にいくつものアリジゴクの穴を見つけられる場所があった。
アリジゴクは水分を含む土壌では「地獄穴」を作れないから、日陰でしかも土壌がさらさらと乾燥している必要がある。
わたしはアリジゴクたちの「地獄穴」を見つけたら、飽くことなくそれを眺めていることができた。
時に穴からほじくり出して、手の平に含ませた。
暴れるアリジゴクの感触が手の平から脳に伝わり、こそばゆくもある種の心地よさがあった。
そんなアリジゴクの思い出を、ある時「詩」にしたことがある。
その詩の原文はもう残ってないが、だいたい次のようなものだった。

お題「ぼくのアリジゴク」

ぼくのアリジゴク
ぼくのアリジゴク
手の中でバタバタ
手の中でバタバタ
ぶちゅっ!
潰れてしまった、
ぼくのアリジゴク
クンクン
クンクン
くちゃい
くちゃい
くちゃいけど、いい匂い
くちゃいけど、いい匂い

ぼくのアリジゴク死んだ
ぼくのアリジゴク死んだ

・・・我ながら、(何かいてるねん!)と思わなくもないが、当時の友人たちにはけっこうウケた。
けれどこの詩に関して、いろいろと「若気の至り」的苦い思い出もなくもない。
しかしそうしたことについてはまだ今夜語りはすまい。

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いっぷく

素晴らしい詩ですね。
「クンクン」「くちゃいけど、いい匂い」というところが深いです。
「人間がすることには、すべて、そうしなければいけない理由がある。それがぶっつかる、どうすることもできない切なさ」を感じます。しかも、「クンクンくちゃい」「くちゃいけど、いい匂い」を繰り返している。「どうすることもできない切なさ」で迫られているようで、私は思わず息を呑みました。人間の行動原理がここまで赤裸々に描かれた詩は、これまで見たことがありません。
普通、「くちゃい」ものを嗅ごうとは思わないし、「くちゃい」ものを繰り返し「いい匂い」とはいいませんものね。我慢できない気持ちの現われです。
私はアリジゴクを見たことがない、あったとしても見逃してきたので、そうした葛藤を経験する機会もありません。

母の弟と、父の妹が夫婦になっていてしばらく子供ができなかったのですが、私は妹が生まれるときと、母が子宮外妊娠で緊急入院したときにそこに預けられたことがありました。千葉の団地だったのですが、もう今は壊されて存在せず、父の妹も亡くなったので、記憶の中にしか当時の生活は残っていません。その記憶もほとんど残っていないので、なんかそう考えると、人間の営みは儚いですね。
私が小学生の頃住んでいたマンションも、当時は今のお金で50万近い家賃を取るところだったのに、先日見たら壊されて駐車場になっていました。図書館に「ぼくら」を見に行ったり、黄金時代の日本プロレス中継を見たりした一方で、お受験で苦しい時期も過ごした思い出深い場所でしたが、形あるものはいつかはそうなってしまうんですね。

宮沢りえは、母親によって売り出せたけれども、母親離れができないことが限界のようにも言われた時期がありましたが、今はもう自分の意志で歩いているんでしょうね。
最近は森田剛との噂もありますが、どんどん経験してますます陰翳に富む生き様を演技に反映させていただきたいです。
牧瀬里穂は、ちょっと気の毒な面もありました。唐沢寿明と樹木希林の母子のドラマ「輝け隣太郎」が1995年に放送されたのですが、牧瀬里穂がヒロインでストーリーが進行していたのに、唐沢と同じ事務所だからということで抱き合わせ出演していた江角マキコの注目度が予想外に高くなってしまい、なんと唐沢が江角と結ばれるストーリーの変更だけでなく、牧瀬里穂は途中で消されてしまったのです。それ以来、江角は勢いがついてショムニで人気女優になりましたが、牧瀬里穂の方は失速しましたね。
今なら、どうして牧瀬里穂より江角マキコの方が良いのか、ということになるでしょうけど、芸能界に慣れた牧瀬里穂は「今さら」で、山陰地方の方言が残る江角マキコのかっぺ臭さが新鮮に見えたのかもしれません。役もみなし児の役だったのが感情移入しやすくて得しましたね。
それと並行してその時期は東山紀之付き合っていて気を使わされ、くたびれてしまった面もあったように思います。

>そもそもわたし中学の頃、「プロレスをやって、強さを見せつければ、モテる」と思い込んでおりました!

これはもう「あるある」と拍手するしかないですね(笑)
私は気が弱いので、「こうすればモテる」と思ったことがそうならず、相手が冷たい反応ですと、「また頑張ろう」と思えず、心底がっかりしてしまうのです。
小学校の時、相撲が流行ったのですが、教室の窓を開けて、見えるところに土俵を書いて頑張ったこともありましたが、私がお目当ての人は、そもそも私に関心がなかったようで、うまくいきませんでした。
by いっぷく (2018-02-13 02:40) 

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