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●生田斗真も『彼女が本気で編むときは、』で使用した糸電話~あるいは憧れのトランシーバーと戦争ごっこ。 [「言葉」による革命]

●生田斗真も『彼女が本気で編むときは、』で使用した糸電話~あるいは憧れのトランシーバーと戦争ごっこ。

末尾ルコ「自分史と昭和史を語りながら、知性と感性を鍛えるレッスン」

前回、「電話」のお話をしたけれど、それでふと思い出したのが、「糸電話」。
最近生田斗真主演の映画『彼女が本気で編むときは、』の中で上手に使われていたのが糸電話だった。
『彼女が本気で編むときは、』の生田斗真は他ランスジェンダーで、既に性転換手術を受けており、常に女装している。
映画の中で生田斗真の恋人を演じるのが桐谷健太で、その姉が小学生の娘をネグレクト(育児放棄)しており、生田と桐谷で預かるのだが、特に生田が少女を本当に娘として愛し始めるのだが・・・という展開のストーリーである。
当然ながら、トランスジェンダーに対する一般社会は冷たく、時にあからさまに差別的なのだが、最初は戸惑っていた少女も徐々に「彼女」を理解するようになる、その過程で心動かされるシーンが用意されているのだが、その一つが「糸電話による話」だ。
そう言えば、菅田将暉主演の『帝一の國』でも菅田将暉とガールフレンドが糸電話で会話するシーンがあったことを思い出したが、わたしも小学校低学年の自分に糸電話にロマンを感じていたものだ。
ただ、糸電話を用意するのはいいのだけれど、期待ほどの機能を果たした記憶はない。
子どものわたしが糸電話に期待していた機能とは、「好きな女の子と秘密にして親密な会話をする」だったのだが、そもそも「好きな女の子と糸電話」というシチュエーションに至ることはなかった。
で、仕方なく(笑)家庭内でやっていたのだけれど、確かに糸で繋がれたカップの中に相手の声は聞こえてこなくはなかったのだが、多少距離を取ると聞こえ難くなるし、距離が近いと、別に糸電話を使わなくても相手の素の声が耳に入ってくるときたもんだ。

まあそれはさて置き、生まれた時から携帯が普通に存在している年代の人たちには理解できないだろうが、「声をやり取り」する通信手段が固定電話しかなかった時代、好きな女の子、あるいは親しい友人と、「秘密裏にプライベートな会話をする」ことは甘美な夢の一種だった。
その役割として糸電話が不十分である事実は子どものわたしにもすぐに理解でき、(これ、欲しいな!)と心底憧れたのが「トランシーバー」である。
もちろん市販のトランシーバーがどのくらいの機能を持っていたのかは知る由もなかったが、イメージとしては、「相手も自分も自宅にいても、通信できる」であり、「作戦行動(笑)にも使える」でもあった。
まあ子どもですから、「戦争ごっこ」的なことはやっていたわけで、林の中へ潜入して匍匐前進したりとか、おもちゃの鉄砲持って、「ダダダダダダダダあ!、バキュ~ン、バキュ~ン」とか、あるいは何も飛んでこないのに伏せたりして、そのようなエキサイティングなシチュエーションで、トランシーバーはもの凄く役に立ちそうだなあ、と。
もちろんあんな高そうなアイテム、親にねだることなど一度もできなかったのだが。

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いっぷく

生田斗真まだ頑張ってるんですね。ジャニーズ事務所所属タレントとしては初めてブルーリボン賞(新人賞)を受賞した人。グループデビューを経験せずに、同事務所では「ふんどしかつぎ」「二軍」にあたるジュニアを卒業。しかも俳優一筋という異例の存在。彼の成功で、風間俊介とか、ジュニアずれしちゃったベテランが世に出るきっかけとなりましたね。
木村拓哉は、独立騒動を引き起こしたことで、所属タレントの待遇が改善されましたが、保守的な個人商店のジャニーズ事務所で、新しいビジネスモデルを作り上げた生田斗真は、それ以来の快挙でしょうね。

糸電話、小学校の3~4年ごろ理科で出てきて、たしか月刊誌「科学」の付録についてきたことがあります。が、作って母親と「もしもし」とか言い合って、それで飽きてやめちゃいました。さすがに家庭に電話が入りつつある頃なので、原始的と言うか、おもちゃとしてもしょぼすぎると言うか。そのわりには、糸をピンと張らないと聞こえないとか取り扱いが面倒で(笑)
女の子と糸電話するということ発想はなかったですね。何しろ級友には、ラブテスターを持ってくる奴もいたので、糸電話しようなんて恥ずかしくて言えなかったですね。

トランシーバーは、中学か高校の頃、お年玉で買った記憶があります。トランジスタラジオ並みの数千円でかえましたが、そんなに遠くまで届かないおもちゃでした。トランシーバー自体の交信は飽きてしまったのですが、捨てずに部屋の片隅に放っておいて、ある時またいじってみたら、偶然、FMラジオがその電波を拾っていることに気が付きました。
それで、何か自分語りをテープレコーダーに録音して、それを2階からトランシーバーで発信。階下の部屋でFMラジオをつけて、さも自分の制作出演している番組がFMで流れているかのような気分になって楽しかったですね。ただ、いかんせん電波の届く距離が短いので、そのうちまた飽きてしまったのですが、数年後、ちょっとトッポイ女性と知り合い、その人がトラックの運ちゃんの知り合いがたくさんいて、パーソナル無線をやっていたのです。まだ白ナンバーのトラック野郎が頑張ってた頃ですね。で、私もトラックは運転しませんが、その人から勧められてパーソナル無線をやってました。
そうやって考えてみると、自分から何かを発信しようという気持ちは若い頃からあったようですが、せっかくその条件が整った現代のインターネット環境では、ブログやツイッターぐらいで、まだYoutubeを発信には利用していないし、Facebookも情報を得るばかりで自分からはほとんど発信していません。歳をとっちゃって厚かましさがなくなっちゃったのか、ネットは誰でも何でもできそうで、つまらなくなってしまったのかもしれません。
by いっぷく (2018-03-25 02:55) 

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