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●1972年全日本プロレス旗揚げ戦の「テリー・ファンクVSサンダー杉山」動画を探していたのに、「木村VSカマタ」を観てしまった春の宵。 [「言葉」による革命]

●1972年全日本プロレス旗揚げ戦の「テリー・ファンクVSサンダー杉山」動画を探していたのに、「木村VSカマタ」を観てしまった春の宵。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

1972年に全日本プロレスと新日本プロレスが旗揚げされたわけで、全日の旗揚げ戦のメインがジャイアント馬場VSブルーノ・サンマルチノだったことは知識としては以前から知っていた。
ではメイン以外の試合にはどのようなカードがあったのか。
特に外国人レスラー絡みの試合に興味があるのだが、次のようなものだったようだ。

30分1本勝負
ジェリー・コザックVS佐藤昭夫

30分1本勝負
ドン・デヌーチVSサムソン・クツワダ

30分1本勝負
テリー・ファンクVSサンダー杉山

タッグマッチ45分3本勝負
大熊元司&マシオ駒VSフレッド・プラッシー&ダッチ・サベージ

ジェリー・コサックというレスラーは名前すらまったく記憶にないが、ドン・デヌーチやダッチ・サベージなどは観戦した記憶はないけれど、名前はしっかり記憶の中に刻まれており、プロレス誌の写真などで見ているはずだけれど、その「見た目」の記憶はないという、B級感も香ばしいレスラーたちであり、わたしとしては今後の研究課題としたい気持ちだ。
しかしやはり注目はテリー・ファンクVSサンダー杉山であって、第一回オープン・タッグ選手権で(日本で)人気爆発して以降の「臭い演技連発」のテリー・ファンクと違い、硬質で生硬なイメージのあるレスラーだった時期の彼とサンダー杉山がどのような試合になったか実に興味を惹かれる。
で、YouTubeで「テリー・ファンクVSサンダー杉山」をひと調べしてみたのだが、出てこない。
その代わりに(笑)

【国際プロレス】 ラッシャー木村 vs キラー・トーア・カマタ(https://www.youtube.com/watch?v=Zhbb136qB-Y

なんていう動画が紹介されていたからついクリックしてしまった春先のある夜のことである。

この動画はダイジェストで3分足らずで終わるのだが、オカダカズチカVSバッドラック・ファレよりも「プロレスになってる」と思うのだが、いや別に、「今のプロレス」をディスるつもりはないのですけれど。
まあなにせ、現在の新日本プロレスでは「原則流血試合なし」なのだから、「流血大王」キラー・トーア・カマタの出番などありはしない。
それにしても、「極悪非道な攻撃により、金網の鬼ラッシャー木村が大流血!」のポイントで、両レスラーとも「お客さんに見えやすい方向」&「カメラマンが写しやすい方向」を向き、しっかりと表情を作り、たっぷりと時間を取っているのが微笑ましい。
こんな微笑ましさも、今のプロレスにはないよなあ。
いや、レスラーの健康上、もちろん流血戦などない方がいいのだが(←一応常識的なところも見せている様子)

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いっぷく

ダッチ・サベージは、第12回ワールドリーグに8人中5番手の外人として参加したのですが、ターザン・タイラーが怪我で離脱し、ザ・コンビクトが思ったほど活躍をしなかったので、急遽、ドン・レオ・ジョナサン、クリス・マルコフに続く3番手になりました。そのとき日本側は、前年優勝の猪木と、雪辱を果たしたい馬場と、今度こそ優勝をという坂口征二が競っていたのですが、サベージは坂口に勝って坂口征二を脱落させただけでなく、猪木がその試合に勝てば馬場と同点だったのに、サベージががんばって引き分けたことで馬場に半歩及ばなかったという、かなり重要な仕事をしています。サベージはたぶん新日本に来ていないと思いますので、「猪木が勝てなかったレスラー」の1人として名を残しているわけです。

杉山とテリーは、その開幕戦の前に町田でプレ旗揚げ戦というのがあり、馬場杉山組対サンマルチノ・テリー組がメインで、最後杉山がテリーにのされてリングアウト負けだったと思います。馬場も猪木のマネをして、最初は負けでスタートしたのです。
その日のクライマックスは、メインも大事ですが、「大熊元司&マシオ駒VSフレッド・プラッシー&ダッチ・サベージ」だったでしょうね。日本陣営が手薄な全日本で、馬場に続くナンバー2を誰にするかということで、てっきり杉山かと思ったら、馬場は当初、大熊元司にそのチャンスを与え、大熊はプレ旗揚げ戦にブラッシーに勝ち、この日は駒とのアマリロ遠征コンビとして、ブラッシーに連勝したのです。
http://xn--zckzczcd7076bwdw.shiseiweb.com/wp-content/uploads/2017/08/komakuma.jpg
ブラッシーも勘の良いレスラーなので、大熊にハナをもたせたんでしょうね。ブラッシーは、馬場が修行していた頃から馬場に好感をもっていて、東郷に下駄で殴られるところを見て気の毒に思ったそうです。前夜祭のパーティーにはミヤコ夫人を連れてきて馬場と歓談していたのに、マスコミがカメラを向けたら、立食のフォークを急にババに向けて、対決姿勢を見せたというエピソードは昭和プロレスっぽくて今聞くと微笑ましいですね。

>【国際プロレス】 ラッシャー木村 vs キラー・トーア・カマタ

マイティ井上からラッシャー木村にエースが交代した75年の初対決のときですね。
このあと、金網デスマッチで完全決着(もちろん木村の勝利)がつくのですが、木村に完敗したカマタが、全日本に来ると馬場のPWFの防衛をストップする殊勲の星を授かるのは幸運でした。私はそのときは、ジョー樋口を大いに怨んだものです(笑)
その頃、馬場は腰の状態が最悪で、とてもチャンピオンとして試合ができるコンディションではなかったらしいのですが、ビル・ロビンソンにワンハンドバックブリーカーなどやられたら、ジョー樋口がいくらゆっくりカウントしても負けそうなのでそれは避け、「本来なら負けるはずのない相手なんだけども暴走して反則負け」という展開を選び、その相手としてカマタがぴったりだったんでしょうね。カマタいいときに全日本に来ました。
昔、国際プロレスで、無敵のロビンソンがAWAに転出するのでIWAのタイトルを置いていかなければならず、かといってストロング小林やグレート草津に負けると商品価値が下がってしまうので、流血試合を担当していた杉山戦で、ロープに足を引っ掛けてとれなくなって仕方なくリングアウト負けという展開を選んだのと同じパターンですね。(ボボ・ブラジルの負けパターンもそれが目立ちましたね)
もっとも、それでも勝ちは勝ちなので、日本人で初めてロビンソンに勝ち、かつ世界チャンピオンになったということで、杉山は嬉しくて一晩中、試合のあった仙台の飲み屋を走り回っていたということを菊池孝さんが「実録・国際プロレス」の中で話しています。
by いっぷく (2018-04-09 04:47) 

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