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●ネトウヨに大人気外国人ケント・ギルバートは、「ビジネスとしての保守」か?~「日本人が活躍するスポーツにしか興味がない」は、社会を閉塞させるか? [「言葉」による革命]

●ネトウヨに大人気外国人ケント・ギルバートは、「ビジネスとしての保守」か?~「日本人が活躍するスポーツにしか興味がない」は、社会を閉塞させるか?

末尾ルコ「日本社会をよりよくしようという話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ネトウヨって、外国人嫌いなのに、ケント・ギルバートは大好きなのですね。
あ、わたし自身は自分を右とも左とも特定しておらず、特に現在の日本の「いわゆる左」はどうしようもないと思っております。
ま、簡単に言えば、右でも左でも、思考停止状態になっている「意見」が主流を占める社会ではいけないということです。

それにしても、「ケント・ギルバートごとき」に日本を褒めてもらって嬉しいのかというお話。
まあ、ケント・ギルバートがどうして保守派風になったのかについてはネットでもいろいろな「説」が見られるけれど、高知のTSUTAYAなどへ足を運んでも、ケント・ギルバートが表紙の本が目立つところに置かれていて、わたしも目を通したことがあるのだけれど、とても分かりやすく書かれているのが「人気」のポイントなのだろう。
もちろん「右」であろうが、「左」であろうが、しっかりした内容が書かれておれば、わたし自身は敬意を持って読むことができる。
しかしケント・ギルバートの本のタイトルなどを見れば、「いかにも今のネトウヨ的日本人が喜びそうなタイトル」がマーケティング的に付けられている臭いがプンプンである。
ま、要するに、この人の本を嬉しがって読んでる人たちは、体よく「お客さん」にさせられているのではないかと思わなくもないわけです。

いや、今回は別にケント・ギルバートの言動に特化した記事を書こうというのではなく、これから本格的に「一般日本人と外国の関係」について考え、書いていこうと思っており、これはその第1弾というわけなのである。

例えばスポーツを観る時、わたしの場合は、「スポーツを観る」のである。
当然のことだと思うのだが、案外これは当然ではないようなのだ。
多くの人は、「日本人の活躍を観るためにスポーツを観る」のだという。
つまり基本的に、「スポーツに興味はない」わけだ。
日本人が活躍して冴えおれば、種目は何でも構わない・・・という自然スタンスの人が大部分のようである。
こうした傾向は日本だけの話ではないだろう。
どこの国だって、「自国選手応援」が大部分であることは間違いない。
そもそもわたしが世界すべての国の事情を知っているわけではない。
だからここは日本の話中心でいくが、やはり「普段はまったく興味のないスポーツだけど、日本人が活躍している場合だけ観る」という人が多いような社会では成熟とはほど遠く、社会の足腰も脆弱なままなのだと思うのだ。

つまりスポーツに限らず、「自分は日本人だから、日本のことにしか興味ありません~」という人が多ければ多いほど社会の閉塞感は高まり、本当の意味で「祖国を愛する」状態から遠ざかっていく、と。

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