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●あの日のジャンボ鶴田VSディック・マードック戦の謎について、秋間近に想いを馳せるのもよし。 [「言葉」による革命]

●あの日のジャンボ鶴田VSディック・マードック戦の謎について、秋間近に想いを馳せるのもよし。

末尾ルコ「プロレス、そして昭和史~平成史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

今この時代、「プロレス」についての話題はまさに「コアなファンのみ」に限定されたものに近い。
このところ棚橋弘至や真壁刀義などがバラエティ番組に出演して顔を売っていて、その認知度は徐々に上がっているのかもしれないが、そこからどうプロレス放送を観るまで持って行けるか、さらに会場へ足を運ぶまで持って行けるかが問題となる。
力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の時代と比べてはならない。
日本人にとってテレビが娯楽の帝王だった時代。
しかもプロレスは、プロ野球、大相撲と比較して遜色ないメジャーな人気スポーツ(的なもの)だった。
その中でもあたかも暴君の如く覇を誇っていた巨人戦中継も、今では地上波で放送することさえ稀になっている。
その意味では数々の不祥事・スキャンダルを自ら起こし、一定期間の人気低迷もあったとは言え、そして「NHKで中継」という特殊性もあるとは言え、プロ野球やプロレスと比べると、大相撲のあたかも不動であるかの如きポジションはやはり考える意味がありそうだ。

ところでわたしの心にはとても印象深いジャンボ鶴田VSディック・マードック戦がある。

ジャンボ鶴田は毎週のように土曜夜8時にプロレスをしていた割には、あまり一般人の話題には上ってこなかった。
そこにジャイアント馬場の誤算があったのだろうが、だからこそプロレスファンは、当時の世界一級とされる外国人レスラーをたっぷり愉しめたというプラスの側面もあった。
そんな外国人レスラーたちの中で、ディック・マードックのイメージはだいたい、「一流の下」ではなかったか。
米国のプロレス情報が正確に入って来る時代ではなく、あくまで「日本でのマードック」だけれど、「セミファイナルに出れば豪華」「メインならタッグマッチ」というポジションである時期が多かった。
ところが何がきっかけか、プロレス誌やプロレスファンの間で、(マードックは実は凄く強くて、次期NWA世界チャンピオン最有力だ」という機運が盛り上がった時があった。
そこであるシリーズの開幕戦で満を持して組まれたのが、ジャンボ鶴田VSディック・マードックの試合だ。
まるで、「次期NWA世界チャンピオン挑戦権争奪戦」のような感覚で。
会場は後楽園ホールだったと思う。
観客たちも試合前から出来上がっていて、(いずれ語り継がれるであろう試合で盛り上がろう!)という雰囲気はテレビからもムンムン伝わってきた。
ところが二人のプロレスラーは地味なやり取りに終始。
「凄い試合!」に当然ぶち当たると信じていたファンたちはどんどん経過していく時間に焦れて、ついには「大技!」「大技!」と半ば罵声を浴びせるようになる・・・。

なぜ全観客の「期待」が分かっていながら、二人がシブい展開に終始したのか。
ほら、今でも内藤哲也の試合より「想像」が愉しめるでしょう。

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いっぷく

>そこからどうプロレス放送を観るまで持って行けるか、

今はプロレスラーに限らず、バラエティ番組タレントとしてのキャラクターと、本職のキャラクターが分けられている時代ですね。
たとえば昔なら、あくまでもプロレスラーがプロレス中継以外の番組にも特別に出演しているという扱われ方でしたが、今は、本職ではプロレスをやっているがその番組ではあくまでも一タレントとして出ている、という趣ですね。
林家三平がいっ平時代、そんな話をしていました。バラエティ番組で「落語家」を見せてはいけない。あくまでもタレントなんだからというような話でした。先日もSo-netブログで、関根勤の舞台の話が書かれていて、毒にも薬にもならないにぎやかしタレントとは思えない、危ない話もずいぶん出てきたというようなことが書かれていましたが、テレビタレントと舞台は違うんでしょうね。なかなかそうなると、バラエティタレントとしての知名度やキャラクターと、本職における集客力がつながるのはむずかしいのかもしれません。
いや、おかしいと思ったんですよね。1990年代あたりからプロレス中継がゴールデンをはずれ、2000年代はプロレス冬の時代といわれましたが、でもその間、個々には議員として当選したり、バラエティ番組に出演してタレントとしては名前が売れたりする人はいました。そのギャップが不思議だったのですが、バラエティ番組タレントとしてのキャラクターと、本職が分けられている時代ということだったのかもしれません。

>ジャンボ鶴田VSディック・マードック戦

ディック・マードックは、決して外国陣営のエースにはならず、適当なところで稼いでいたというイメージが強いですね。タイトル戦線も、UNを1回巻いただけでした。
日本プロレスに最初に来たときも、ゴリラ・モンスーン、アブドーラ・ザ・ブッチャーに次ぐ3番手でしたし、日本では、バス移動で旅ができて楽なのと、タッグマッチでもアメリカのように報酬がパートナーと2等分にならず週給でバッチリもらえるので、デストロイヤーほどではないですが、しばらく逗留していたときがありましたね。
あまり流血のイメージはなかったのですが、キラー・カール・コックスとの流血戦はそれだけにびっくりしました。新日本プロレスとの興行戦争で、「猪木のグループに行ったファンを後悔させてやる」とコックスが受諾した試合だったそうですが、まあマードックにそれほどの思い入れはなく(笑)、少しボーナスをもらって、試合後に飲むビール代を多めにできるぐらいの気持ちだったのでしょう。
ジャンボ鶴田も、猪木のように自分から火をつけるようなタイプのレスラーではないし、そこそこの試合をこなしてビールを飲もうというマードックを燃えさせるつもりは毛頭なかったんでしょうね。


日本では、入れ墨入れてる人は、かつての罪人以外はたいてい極道で、脅迫や威圧や極道としてのステータスとして使われてきた歴史から、違和感や拒絶感が国民の間に生じることは無理も無いことだと思います。
安藤昇の東興業のように、世間一般に対するならず者と見られないよう入れ墨を禁じるなど「差別化」する立場もありました。
一部には、入れ墨者「差別」は、黒人差別と同列に論じる意見もありましたが、好き好んで入れるのと、肌の色を同列視するに至っては、差別ということの意味がわかってんのかな、という疑念や憤りすら感じます。
by いっぷく (2018-08-28 02:30) 

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