中村雅俊は号泣で「得」をしたのか? [末尾ルコ(アルベール) 美学 生と死のあいだ]
要するに「経営アナリスト」などという人間は
「得するかどうか」が思考の中心にあるのだろう。
中村雅俊の会見は視聴者に好感を持って受け入れられ、
その後さらに非難を受ける可能性はほとんどないというわけだ。
つまり「息子が大麻を使った」という大きなマイナスを
少なくともあの会見でプラマイゼロまで持っていった。
つまり会見によって「得」をしたというわけである。
ここではあのような「会見スタイル」になってしまったことに関する言及が全くない。
結果として「得をした・損をしなかった」という点だけに注目し、
あのような「会見スタイル」をとった中村雅俊の「人間性や生き方」に対しての
視点はまったくないのである。
中村雅俊の「涙」「号泣」を
すべて「得するための芝居だった」などとまでは
さすがのわたしも言わない。
あの涙は自然に流れたものである可能性は極めて強いと思う。
しかし、
30歳を超えた息子が大麻を使用したことに関し、
テレビカメラの前であそこまで号泣するという
「人格」が問題だと思うのだ。
「得するかどうか」が思考の中心にあるのだろう。
中村雅俊の会見は視聴者に好感を持って受け入れられ、
その後さらに非難を受ける可能性はほとんどないというわけだ。
つまり「息子が大麻を使った」という大きなマイナスを
少なくともあの会見でプラマイゼロまで持っていった。
つまり会見によって「得」をしたというわけである。
ここではあのような「会見スタイル」になってしまったことに関する言及が全くない。
結果として「得をした・損をしなかった」という点だけに注目し、
あのような「会見スタイル」をとった中村雅俊の「人間性や生き方」に対しての
視点はまったくないのである。
中村雅俊の「涙」「号泣」を
すべて「得するための芝居だった」などとまでは
さすがのわたしも言わない。
あの涙は自然に流れたものである可能性は極めて強いと思う。
しかし、
30歳を超えた息子が大麻を使用したことに関し、
テレビカメラの前であそこまで号泣するという
「人格」が問題だと思うのだ。
コメント 0