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末尾ルコ傑作詩「OECDとBRICs諸国とアンナ・ニクーリナ」篇。末尾ルコ「人間性の濃い・薄い」に関する小さな文章。末尾ルコ、AJスタイルズVSオカダカズチカと猪木VS大木金太郎を比較しつつ、「昭和の濃さ」を考える。 [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「OECDとBRICs諸国とアンナ・ニクーリナ」篇。

OECDは美味しいで?
いいえ、経済協力開発機構。
BRICs諸国はぶりっ子の集団?
いいえ、ブラジル、ロシア、インド、中国のこと。
ブラジル、ロシア、インド、中国の共通点は?
BRICs諸国であること。

プレッツェルをかじり乍ら、
スヴェトラーナ・ザハロワと
アンナ・ニクーリナの
「ラ・バヤデール」について
頭を巡らす
午後の陽光

●末尾ルコ「人間性の濃い・薄い」に関する小さな文章。

人間性に濃淡ってあるでしょうか?
「人間力」という概念には「力」という文字が付いているから、「強弱」があると位置付けられているはずですね。
人間について「濃い」とか「薄い」とか揶揄的に使うこともあるけれど、昭和と平静を比べれば多くの人が昭和を「濃い」と言う。
それはいいことなのか、悪いことなのか?

●末尾ルコ、AJスタイルズVSオカダカズチカと猪木VS大木金太郎を比較しつつ、「昭和の濃さ」を考える。

人間について、「濃い」も「薄い」もどちらもあっていいでしょう。
それを誰がどう決めるかはまた別の問題で。
しかし社会全体で見れば、バランスというものが必要だと思う。
などと書いているのは、もちろんそうしたことはいつも考えているのだけれど、久ぶりにテレビでプロレスを観たんです。
新日本プロレスの2014年5月25日、横浜アリーナ、AJスタイルズVSオカダカズチカ。
わたしはかつて熱心なプロレスファンであり、プロレス通と呼ばれても不思議はない(笑)人間だったのだけど、UFCが勃興し始めたあたりからプロレスを観なくなっていました。
まあリングスをプロレスの範疇に入れるのであれば、第1期リングス消滅まではプロレスを観ていたことになります。
大昔の話、高知は全日本プロレスしか中継していなくて、当時はハーリー・レイスとか大好きだったんですが、その後はアントニオ猪木の格闘技路線に夢中。
もともと「一番強い人間」への志向からプロレスを観ていたものだから、UFCやプライドがさく裂し始めるとそちらへ大きく興味が移るのは自然な流れでした。
プロレスもわたしの好みは強烈なキャラクター同士の強烈な対決だったんですが、おそらく「長州力維新軍団」がブームとも言える大人気を博し始めてからプロレスの中身が変わってしまいましたよね。
つまりどんな試合でも「互いに一通り持ち技を出す」というパターンが普通になっていった。
で、AJスタイルズVSオカダカズチカは十年なんてもんじゃないぶりにわたしが観たプロレスだけど、基本的にはわたしが観ていた末期とほとんど同じパターンで、ある意味驚きました。
やはり人間が繰り出す技は、あの時点以上のものはなかなか開発できないものなのだなあと。
AJスタイルズVSオカダカズチカをわたしが楽しめたかというと、正直なところそうでもなかった。
そこででもないんですが、「昭和のプロレス名勝負」の一つ、アントニオ猪木VS大木金太郎を観直してみました。
「ああ、これは濃いわ!」とあらためて感じましたね。
技らしい技はほとんどなく、「濃さ」だけで試合が成立している。
もちろんそれだけではなく、時代背景も大きい。
まだかなりの人たちが「プロレスは真剣勝負、じゃないかなあ~」と思っていた時代でもある。
いや、プロレスの話だけではなく、「昭和の濃さ」「平成の薄さ」という観点はかなり重要なのだと思います。
で、もちろんわたしは、「新たな濃さを獲得するべきだ」という考えです。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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