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末尾ルコ傑作詩「孤独を軽くする方法、スヴェトラーナ・ザハロワ、高知県津野町」篇。『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その32。末尾ルコ「映画俳優演技論」~「問題のあるレストラン」における、二階堂ふみ、東出昌大、風間俊介の役は妥当か? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「孤独を軽くする方法、スヴェトラーナ・ザハロワ、高知県津野町」篇。

「孤独」という言葉を神に書いてにやりと笑うと
「孤独感」は軽くなるよ。
本当だよ。

そして屹立する
スヴェトラーナ・ザハロワの
ローマ帝国の踊りを観る
高知県津野町でも
OKなのさ!

「孤独」という言葉を神に書いてにやりと笑うと
「孤独感」は軽くなるよ。
本当だよ。


●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その32。

・・・・・・

(え?おばちゃん?おばちゃん??わたしが?わたしが、おばちゃん???そりゃあわたしはおばちゃんよね!わたしゃあそりゃあ、女の子やないきねえ、今は。けんど、おばちゃん?何で今、わたしはそんな言葉を聞いたのだろう?タコ?蛸?たこお???あるいは他校?はたまた多幸??いややはり、蛸???蛸おおおおおお??何で今、蛸?何で丘メヒー子が蛸と???)

・・・・・・

こう描写はしてみたが、この日、この時間の山の中椅子子の心中の大混乱を正確に記すことはギュスターヴ・フローベルにもできまいし、『「ボヴァリー夫人」論』を著した蓮實重彦にもできはすまい。
ただ後年、「21世紀の叙事詩人」として名を馳せた貝人法螺男(かいじん ほらお)によって詠じられた叙事詩こそ「最も山の中椅子子の心情に近い」と賞賛されたことは記しておかねばなるまい。

●末尾ルコ「映画俳優演技論」~「問題のあるレストラン」における、二階堂ふみ、東出昌大、風間俊介の役は妥当か?

♪バッハの「G線上のアリア」は、スウィートボックスの歌になってさえ心に触れる。

2015年1月期ドラマ「問題のあるレストラン」は、同期の連続ドラマの中で唯一楽しめたのですが、ドラマそのものの問題もいくつかある。
まず二階堂ふみの役どころが小さい。
わたしは二階堂ふみにテレビドラマで活躍してほしいとは考えてないからいいっちゃあいいんですが、それにしても「問題のレストラン」内での役どころは二階堂ふみの実績を考慮すれば「あり得ない」ものだと言えます。
既に「若き大女優」なんですから、もっと敬意を払った役でないとね。
真木よう子に次いで二番手にキャスティングされている東出昌大を注目してみると、台詞が増えてくるに從って覚束なくなってくる傾向が見られます。
「無表情」で通すシーンはまだいいのだけれど、表情を出すべきシーンになるとこれまた覚束ない。
つまり演技力が総合的に足りてないですね。
今後の努力を期待しましょう。
さらに途中から出演してきた風間俊介の役のキャラクター。
会社の社長たちによって鬼畜的なセクシャルハラスメントと言うか、女性の、そして人間性の全否定とさえ表現できる重大犯罪行為を受けて深く傷付けられた女性の婚約者という立場が風間俊介の役どころなんですが、いきなり「あまりにいい人過ぎ」です。
深く傷付いた女性登場人物に対する「救い」のような設定なのでしょうが、「あまりにいい人過ぎ」で、性格設定としては手抜きのように感じました。

♪バッハの「G線上のアリア」は、スウィートボックスの歌になってさえ心に触れる。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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