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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ「映画俳優演技論」~テレビ版「デスノート」の「L」も松山ケンイチが演じるべきか?2016年2月2日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「映画俳優演技論」~テレビ版「デスノート」の「L」も松山ケンイチが演じるべきか?

2015年7月はテレビ版「デスノート」が放送されまして、わたしは観ないのでその内容については触れませんが、やはり映画版と比較する声が目に付きます。
特に「L」。
映画版で「L」を演じた松山ケンイチと比較して「テレビ版はダメだ」という声が目に付くのだけれど、映画版「デスノート」の松山ケンイチは飛び抜けた当たり役であって、それをテレビ版と比較しても意味のないことです。
それよりも中には「松山ケンイチがテレビでもLをやればいいんだ」と考える人もいるようですが、これは原則的にとんでもない話。
ある俳優が映画で演じた当たり役を、同じ内容のテレビドラマを作るからといって「ぜひテレビでも」と依頼したりするのは侮辱だと取られても仕方ない。
例えばジョディ・フォスターに「羊たちの沈黙」の「クラリス」役を「テレビシリーズでもお願いします~」なんていうのはあり得ない。
余程ジョディ・フォスターがお金や仕事に困っていれば別ですが、まあそんなこともないでしょう。
確かに中には標準的な映画よりよくできたテレビドラマもありますが、これも原則として「テレビドラマは表現として映画に遠く及ばない」という認識をできるだけ多くの人が持っていなければならない。
だから「デスノート」のテレビ版ができるという場合、最初から「映画のようなおもしろさ」を期待するのは間違いなのです。
もっとも映画版「デスノート」が傑作だったと言ってるわけではないですが。

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