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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「格闘技論」~総合格闘技名勝負語り「第2回アブソリュート大会 イリューヒン・ミーシャVSヒカルド・モラエス」。2016年10月5日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「格闘技論」~総合格闘技名勝負語り「第2回アブソリュート大会 イリューヒン・ミーシャVSヒカルド・モラエス」。

UFCが勃興し、まあ当初はグレイシー柔術なる一般的には耳新しい格闘技のファイター ホイス・グレイシーが席巻して格闘技ファンを驚かせたのですが、それ以上に素手で殴り合うという大会のスタイル自体は驚愕を呼びました。
ただそれだけではグレイシー柔術がアッという間に日本の格闘ファンというか、当時はプロレスファンとかなりかぶっていたんですが、その間に拡まらなかったでしょう。
日本ですぐにグレイシー柔術の名が拡がった理由はただ一つ、よせばいいのに(笑)ケン・シャムロックが第1回UFCへ出場したからです。
当時の日本は大雑把に言って、

猪木の衰えと選手の離合集散で新日本プロレスの求心力が低下→
UWFが新日本ファンのかなりの部分を吸収し、新たなファンを開拓→
UWFも分裂し、UWFインター、藤原組、リングスなどになるけれど、藤原組から分裂したパンクラスが「どうやらこれこそ真剣勝負だ」と認識されるようになった

・・・とまあこんな流れだったんです。
そんなパンクラスで「最も強い一人」だったのがケン・シャムロックでした。
そのシャムロックが米国で当時無名の一格闘家ホイス・グレイシーに手もなく敗退した。
だから日本のプロレスファン(格闘技ファン)にとって大きなインパクトだったんです。
それから格闘技専門誌「格闘技通信」が思い入れと予断たっぷりに「グレイシーないしブラジリアン柔術美化記事」を書き始めましてね。
まあそれはさて置き、そんなUFCが人気を博すると、真似する格闘技イベントが出てくるわけです。
その中で最も有名だったものがロシアのアブソリュート大会。
特に第2回アブソリュート大会は、リングス常連だったイリューヒン・ミーシャが活躍したことで日本でも注目された。
さらに、後にPRIDEマットで人気ファイターとなるイゴール・ボブチャンチンもインパクトある戦いをしている。
で、そんな第2回アブソリュート大会の決勝がイリューヒン・ミーシャVSヒカルド・モラエスとなったのです。(つづく 笑)

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TBM

もうずいぶん前のことですが、よく覚えています。
by TBM (2016-10-05 23:33) 

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