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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「漫画もたまにはいいじゃない」~「北斗の拳」と「バガボンド」の違いについて、少しだけ。2017年1月22日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「漫画もたまにはいいじゃない」~「北斗の拳」と「バガボンド」の違いについて、少しだけ。

「北斗の拳」って、たまに読み返したくなりますね。
え?そうでもない??
ま、わたしここ1年くらい、漫画は「子連れ狼」と「北斗の拳」くらいしか読んでないもので。
「北斗の拳」のいいところって、「馬鹿パワー」です。
この場合は「愉快な馬鹿」です。
気取った漫画にしようというところがないのがいい。
どこまでもおふざけ。
基本姿勢がおふざけ。
出鱈目で何ら恥じるところがない。
そんな中で、かなりのパワフルさがあり、ちょっとした美学がある。
かなりマッチョな美学だけれど、それはそれで一つの価値観ではある。
害のあるマッチョはダメだけれど、害のない、あるいは「世の中に資するマッチョ思考」というものもあります。
「すべてのマッチョ=男尊女卑」といものでもないのですね。

それはさて置き、
「北斗の拳」がけっこういつまでも痛快に読めるのは、
「真面目にならない」
「出鱈目で押し通す」
「気取らない」
「ギャグが巧妙である」
といった要素によるものでしょう。

例えば「バガボンド」なんか、吉岡道場70人以上を殺した後の宮本武蔵が延々と悩んでいた。
そもそも「70人以上をいちどきに殺す」という無茶な設定にしておいて、その後延々と「悩ませる」のが気持ちよくない。
多くの「宮本武蔵もの」で描かれた「VS吉岡道場70人以上」の戦いは、大将としてまつりあげられていた子どもを真っ先に殺して後はトンズラこくという話にしている。
内田吐夢の傑作映画「宮本武蔵」シリーズでもそうでした。
その代わり、中村(萬屋)錦之助演じる武蔵が(子どもを真っ先に殺してしまった)ことについて悩むのです。
ただそれも、結局は「修羅道」を進む剣士として咀嚼してしまう。
「五輪書」を読んでも武蔵が非常に深く思考する人間であることは明らかですが、「風津野青年」のように悩む姿は似合わない。
もちろん「70人斬り」なんてありえないですが。

「北斗の拳」の登場人物は悩まない。
悩んでるようなコマもなくはないけれど、

殺してスカッ!
殺されてスカッ!
スカッ!スカッ!スカッ!

と、心地よく読めるわけです。

(漫画だから、ですよ!)


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